雨宮処凛『生き地獄天国』

 プレカリアート(不安定雇用のもとで苦しむ主として若い人々)を代弁して新自由主義的エートスにきびしい反撃的発言をしている著者の自伝。


 ちなみに著者の存在を知ったのは、『週刊金曜日』誌上においてだった。

 本の内容は、とりあえずプレカリアート問題には全く関係がなく、著者が「世界と自分」の関係について、どのような体験を重ねることによって確かな感触をつかみ取ってきたかが、語られている。

 日本の世間の中で無難に生きていくためのスキルを身につけるのは、かなり大変なことだが、じつはそのほとんどが無意味で、反人間的なものだったりする。
 学校は今、それを刷り込むための仕掛けになっているから、スキルが修得できないものには、脱落者の烙印を押して排除するようになっている。

 自らの実存を求める著者の旅は中学時代に始まり、今なお続いているのだが、ここで語られる体験は、あまりにも純粋で切実で懸命だ。
 人間や社会について何かを語れるためには、身体的体験が必要なのだろうが、著者の体験はすごすぎる。
 それだけに、彼女の語りには真実性がある。

 この国の現実に激しく違和感を感じることができる感覚が、この社会からすり減ってきている。
 1970年代にはさまざまな違和感の表明があった。
 国鉄の民営化によって何の落ち度もない人々が首を切られたのに、この国では国民的な反撃など起きなかった。
 行き着いた先は、ワーキングプアの世界だった。

 証券の売買によって利益がもっと得られるような世の中にすべきだという議論があって、いつの間にか、そんな世の中が実現した。
 汗して働くものが報われる世の中にすべきだという意見はついぞ聞かない。

 右翼活動家だった時代に著者は、何も考えない日本人に、決起せよと叫んだ。
 決起の方向はどうだったにせよ、決起すべきだったのは間違いなかった。

 日本が腐朽しつつあることは間違いない。
 権力を持つ者、相手を先に貶めた者、人を騙した者が得をする世の中とは、まるでアメリカ並みだ。

 この世の中への違和感を叫び続けることのできる人が、Герой нашего времени(現代の英雄)にふさわしい。
 初老の域に近づきつつある自分だが、この本を読んで久しぶりにパワーを注入されたような気分だ。

(ISBN978-4-480-42397-9 C0136 \600E 2001,12 ちくま文庫 2008,2,27 読了)