林滋子『中国・忘れえぬ日々』

 帰国する在日中国人の妻として1953年に中国に渡り、1972年に帰国するまでの間の体験記。
 結果的にだが著者は、反右派闘争(1957)、大躍進運動(1958)、社会主義教育運動(1965)、プロレタリア文化大革命(1966-)などを、外国人ながら一人の民衆として体験されている。

 中華人民共和国の成立が1949年。
 革命中国は成立したものの、深刻な社会的未熟さをかかえて、もがいていた。

 社会主義経済建設のマニュアルがほとんど存在しなかったのだから、無理もない。
 とはいえ、成算も見通しも持たぬ指導部の思いつき的な方針に振り回された民衆の苦悩は深かった。

 文化大革命の悲惨さは今や、高校歴史教科書にまで明記されているが、社会主義建設の第一歩から中国の混迷は続いていたのだ。
 そのなかには、まだ見ぬ社会を建設するための試行錯誤も存在しただろうが、文化大革命は勇み足ではすまされない、邪悪な内乱だった。

 内乱は、中国の思想的伝統を背景として可能になったと思われるが、それを分析する力はない。
 著者の見聞記からは、歴史的に形成された現実を無視し、一人歩きし始めた革命の理念が消化されないまま、社会主義経済建設の試行錯誤に突入せざるを得なかった中国の悲劇という印象がある。

 専制政治の土壌の上に、事大主義の花が咲く。
 日本だって似たようなものだ。
 「近代」的個人主義には限界もあるが、その点についていえば、じつに健全だと思う。

 「造反有理」とは、確立された個人にとって意味ある格言かも知れないが、1960年代の中国にあっては、ポピュリスト以上の存在ではなかった毛沢東が使ったアジテーション用語の一つでしかなかった。
 この言葉は、権力闘争の具に使われて色あせたが、個人の価値を至高とする思想の延長線で考えれば、意味深い。

 中国における毛沢東の位置づけは現在、功績と誤りの両面を認めているようだが、誤りの部分にもっと徹底的な検討がされるべきだと思う。

 ところでこの本は、一度読み始めると他のことが手につかなくなるほどにおもしろい。
 著者の数奇な体験もさることながら、文章がわかりやすくてたいへん読みやすかった。

(ISBN4-0036-0212-0098 \1700E 1986,7 亜紀書房 2008,2,5 読了)