NHK取材班『ワーキングプア』

 本人の努力不足とか、偶然の不幸などという原因がないにもかかわらず、憲法第25条に規定する生存権が保障されない現実が深刻化しつつある。
 1年前に同名の書を読んだが、首相が替わっても状況は変わっていない。

 先の本は苛酷な現実を分析的に明らかにして見せたが、こちらはNHKのチーム取材によるルポである。
 まずは、このように良心的な作品を作り上げたことに対して、敬意を表したい。

 ルポの切り口も鮮明だ。
 取材対象は、ロスト=ジェネレーション(バブル崩壊後に世に出た世代)を中心とする若者たち、暮らしが崩壊しつつある農村、女性たち、中小企業、年金を受け取れない高齢者、社会の矛盾を一身に引き受けさせられる子どもたちである。

 バブル経済の時代に、土地や証券などを売り転がして利を得る「商売」がこの国を席巻した。
 それは、不動産屋のやり方とはまったく異なっていた。
 関心は利が得られるかどうかのみにあり、その土地に誰が住んでいて、売ったのちどうなるかなど、その「商売」の知ったことではない。

 人間は人間とかかわりながら暮らす生き物だから、商売だってしょせん、人間の喜怒哀楽とのつきあいだろう。
 しかしバブル期には、人間が経済を動かすのではなく、金が人を動かしていた。
 バブル崩壊でこんな価値観に懲りたかと思いきや、病気はさらに進行したようだ。

 かつて(バブル期ごろまでか)日本の政治は、セーフティネットとして国民から期待されていたし、政治の側にもそうした自覚が多少なりとも存在したように思う。
 サッチャーからレーガンに連なる「新自由主義」経済の流れが日本に波及し始めたのは中曽根内閣時代だろう。

 中曽根が強行した国鉄民営化は、生存権を真っ向から否定すると共に、働く者の誇りを徹底的に蹂躙した。
 当時の国鉄労働運動に多々問題があったのは事実だろう。
 しかし国民的な反撃が必要な時に、当時の国民は、国鉄の抱えていた巨額の債務に目を奪われ、人間の生殺しにも等しい人権無視に関心を寄せなかった(国鉄の有力組合だった動労さえ易々と民営化路線に乗った)。

 その後思想・信条の自由に反して「日の丸」掲揚・「君が代」斉唱が強制された際にも、国民の多くは無関心だった。
 バブル期以来、カネが意志を持つ生き物のごとく自己増殖し自己主張を始める一方で、人間のモノ化が進んだ。

 日本人のほとんどが自分は中流階級だと意識していた1980年代とは、つい先日のことではなかったか。
 そのころには、給与所得者の5人に1人が年収200万円以下になってしまうなど、どうして考えられただろう。

 人間の誇りを否定するものに対しては、反撃しなくてはならない。
 階級闘争だけが歴史ではないが、階級闘争なき歴史は存在しない。

 それほどにまで苛酷な現実を知らしめる、好著である。

(ISBN978-4-591-09827-1 C0095 \1200E 2007,6 ポプラ社 2008,2,10 読了)