木村迪夫『百姓がまん記』

 百姓とはほんらい、たくさんの職業という意味なんだろうが、今の日本では農業者という意味で使われている。


 これなどは、言葉の意味が著しく改竄された例である。

 村で暮らすには、いわゆる農業以外に多種多様な仕事をしなければならなかったし、またそうした仕事の需要があった。
 専業農家とは、日本在来の農家のイメージより、アメリカ的な農家に近い印象がある。

 だから日本には、専業農家など、もともと存在しなかったのである。
 それを社会科の教科書に、「専業農家が近年減少してきた」などというデマをのせるから、日本の村に対する誤解が一般化した。

 アメリカのような高度分業化社会は、合理的であるように見えるが、たいへんリスキーな社会である。
 モノカルチュア農業などはもちろんだが、一つのナリワイだけに依存して暮らすのもまた、不安定きわまりない。

 思想信条を枉げなければ首にするといわれれば、自分が人間である証をさえ、捨てねばならないではないか。

 それはともかく、高度成長期までの日本の農業は、労働密度を極限にまで高めた集約化によって支えられてきた。
 農業の重労働化がいつから始まったのかは、わからない。
 ことによると、江戸時代ごろからかも知れない。
 江戸時代でも、山村ではさほどひどい搾取は行われていなかった可能性がある。

 が、少なくとも明治から大正・昭和にかけての農業は、あまりに苛酷な長時間・重労働だった。
 農業者は、身体と人生をすり減らしながら土にへばりついて、生きてきた。
 使いすぎによって身体がもたなくなったときは、人生が終わるときだった。

 高度成長期には日本でも、日本の農地に適した農業機械が開発され、ちょっと無理すれば買えるほどの価格で売り出された。
 これが日本の農業にとって福音でなかったはずがない。

 にもかかわらず、そのころから日本の農業が衰退していったのは、あげて政策に責任がある。
 日本の政府は、根本のところにおいて、農業つぶしが目的かといわれても仕方のない政策を、1960年以来、進めてきた。

 農業は、国民の生命を支え、国土の環境を守る仕事であり、きわめて公益性が高い。
 この仕事が、きちんと報われなければならないのは、当たり前すぎる話ではないか。

 もの思う農業者が、政治に異議申し立てをするのは、ごく自然な話である。
 日本の風土は、異議申し立てに寛容でないのが一般的だから、もの思う農業者であることはまた、しんどいことなのである。

 『百姓がまん記』というタイトルのこの本には、そのような思いが淡々と綴られている。

(ISBN4-88008-280-5 C0095 P2000E 2002,12 新宿書房 2007,11,30 読了)