佃実夫『阿波自由党始末記』

 徳島自由党の幹部だった前田兵治関係の史料に基づき、前田兵治と自由民権運動との関わりを描いた歴史小説。

 本書末尾の記載によれば、阿波自由党や前田兵治関係の史料は、戦災のためにほとんどが焼失したらしい。
 本書は偶然残された一部の史料によって書き下ろされているから、その骨格部分は史実だと思われるが、どの部分が著者による脚色なのかは判然としない。

 読後感をいくつか。

 3年ほどにすぎない自由党の歴史を通して、密偵・諜者による情報収集や内部攪乱作戦が合法的に行われており、それが国家の自由党対策の重要な柱をなしていたということ。

 彼らへの報酬は、機密費的な形でしかるべきところから支出されていたのだろうが、それにしても恐るべきことである。

 民権運動から初期帝国議会の時代にかけては、県知事や郡長など、地方行政機関が運動や選挙を当然のことのように妨害した。

 選挙が開始されてからは、権力・吏党が買収・暴力を常套手段とするのに対し、民権派も同じように金と力で渡り合っていたようだから、志を高く保つのも困難なら、「井戸塀政治家」になり果てないのも困難だった。

 戦前の日本では多かれ少なかれ、密偵・諜者が暗躍し、国家の費用を使った謀略や弾圧が公然と行われていた。
 そしておそらくは戦後に至っても、形態をやや変えて国家的な諜報活動は続いている。
 ここ数年、2ちゃんねるを始め、ネット上の至るところで根拠のない流言飛語を垂れ流しているのは、そうした国家機関であると思っている(一部官庁の職員が都合の悪い記述をWikipediaを書き換えていた事例などは氷山の一角だろう)。

 秩父事件の蜂起前に計画がほとんど漏れていなかったのは奇跡的と思える。

 それにしても、本書の主人公である前田兵治を始め、井戸塀政治家や没落した民権家たちの想念は、誰が受け継いだのだろう。
 子孫たちは、先祖が政治活動を行っていたことすら知らなかったらしい。

 前田兵治の名前は歴史に残されているが、兵治の思想や行動について、本書に記された以上にはほとんどわかっていないようだ。

 本書は阿波自由党の活動を明らかにしたほぼ唯一の著作だが、今は古書でしか入手できない。
 こんなことでいいのかという気がする。

(1967,5 河出文芸選書 2007,8,7 読了)