鎌田慧『日本列島を往く(3)海に生きるひとびと』

 山村に住まっているから、海には縁が遠いが、山村と同じか、それ以上に漁村の暮らしは(知的に)面白そうだ。


 網野善彦氏の著作によってずいぶん明らかにされてきたように、海は、人間の自由な経済活動を阻む存在ではなく、まさに人間がいきいきと活動する場だった。

 海と海民の果たしてきた流通面での役割だけでなく、生産や生活の詳細が明らかになれば、日本列島の民の姿はよほど鮮明なものになるだろう。

 鎌田氏のこのシリーズは、地域のもつ光と陰を描き出し、問題の本質に迫るルポルタージュでありながら、現代民俗探訪という趣をもつ。
 ことによると、民俗学には、このように旺盛な批判的精神が必要だったのかも知れない。

 従来の漁業はほぼ、全面的に天然資源に依存してきた。
 しかも1960年代以降は農林業と同様、製造業の邪魔にならないように、国策としては事実上、切り捨てられてきた。

 埋め立てや工業廃水の垂れ流し、ゴミの漂流などによる漁場環境の悪化、山林の伐採に伴う漁業環境の悪化に加えて、資源ナショナリズムも台頭し、漁業は困難に陥った。
 これらのうち、漁業者自身の責任に起因するものはほとんどない。

 状況は、農業者をめぐるそれと何ら変わるところがない。
 従って漁業者の苦闘もすさまじいものがある。

 そんななかでも安定した漁業経営を維持しているところでは、漁業と農業の複合経営や各種漁法を組み合わせているのではないか。
 本書のところどころに、そういう記述がみえる。

 海が健全でさえあれば、資源は自ずから生みだされる。
 採取によって一つの産業が成り立つ海はすごい。
 暖流と寒流が複雑に攪拌される日本の海はまた、日本人の暮らし方を方向づけるものでなくてはならない。

(ISBN4-00-603049-5 C0131 \900E 2001,12 岩波現代文庫 2007,9,25 読了)