農業技術の進歩は、基本的に善いことであろうと思われるが、それを手放しで礼賛するわけにはいかない。
近年開発されつつある農業技術には、遺伝子組み替え作物を始めとして、得体の知れないものがあまりにも多いからだ。
本書が刊行されたのは1998年だが、著者は農業技術革新に対する疑念を持ってはおられないようだ。
本書に収録されている古今40件の技術がいずれも、より安定的に多くの収穫を得たいという一念で地道な努力を積み重ねた上で創出されたものであることに間違いはないと思う。
しかし例えば、新品種が作出されることの意味について、今少していねいに考える必要もあるのではないか。
メジャーな米の品種であるコシヒカリについて本書は、「日本の農業関係者と消費者が総力をあげてつくりあげた奇跡の品種」という言い方をしている。
冷害に強く食味が抜群であるこの品種は、全国的な作付けシェアでも圧倒的な強さを誇る。
だが農作物の品種シェアの高さのデメリットについて、考える必要はないのだろうか。
どうもそこが不安である。
野菜のなかでもっとも品種多様性に富むのはカブや大根だろう。
これらは色も形も食味もさまざまで、従って用途も多様だ。
これらの品種群の多くは、それぞれの地域の気候や文化に即して、無名の農業者群によって開発されたものであり、地域のアイデンティティそのものである。
従って、いずれのカブが最も美味かというような問題自体が成り立たない。
種苗店には、例えば交配会社が放射線処理によって作出した品種と、上記のような地つきの在来品種とが混在して並べられている。 よく調べなければ、一般の菜園家にその違いはわからない。
遺伝子組み替えではなくて、農薬が使ってなくて、化学肥料が使ってないだけでなく、どういう素性の品種かもしっかりわかった方がよい。
特定品種が奨励されてシェアを広げることが悪だと言い切る自信はないが、そのことに不安を持つ必要はあるのではないかと思う。