シング『狼に育てられた子』

 学生時代の1975年に受講した「教育心理学」の講座で先生に読むように勧められた記憶があるのだが、奥付を見ると1977年刊とある。
 読めと言われたのはたぶん、同名のゲゼル著の方だろう。


 教育基本法が改悪されたおかげで、仕事に対するモチベーションが下がるのを禁じ得ない。
 自分の仕事は教育労働だと思っていたのだが、今回の改悪によって、教師の仕事は教育というより訓練や調教といったものに近づいていくだろうから。

 教育行政における教育の論理の欠落は、近年になって始まったことではないが、教育現場からも教育がどんどん後退しつつある。
 メディアでは、教育とは何かについての教育学的な議論は姿を消し、江戸時代並の勧善懲悪の議論や教え込みノウハウばかりが氾濫している。
 教育学は無意味化している。

 自分にも言えることだが、現代日本の教師に最も欠落しているのは、発達心理学の素養だ。
 個々の子ども、あるいは子ども集団の発達上のつまずきや課題を見きわめ、取り組むべき適切なメニューを用意するのが教育だ。
 子ども観察能力やメニューづくり能力のバックボーンが、発達心理学の素養である。

 おおざっぱなことを大学で習ってはくるが、通り一遍の知識で子どもを理解するなど不可能だから、発達とは何かについて、仕事しながら一生かかってしっかり勉強しなければならない。
 それが教師という職業の宿命であり、そのことは学校教育法にも明記されている。

 といえるほど勉強してこなかったのは、30年前に読めと言われた本を読んでいなかったことからも、明らかなのだが。

 本書に出てくる狼少女の存在を疑問視する見方もあるが、ともかく人間の社会から隔絶した(であろう)ところに生存していた子どもが、愛情ある働きかけによって言語を理解するようになり、直立歩行が可能になったという事例は、人間の発達を考える上で示唆的である。

 彼女らの世界と人間の世界とを架橋したのが飼育されていた小動物や食べ物だったというのは、経験的に理解できる。
 養育者は、彼女らを人間の世界に導く上で不可欠だったのは、養育者による愛情と、精神的に同年齢の子どもたちの存在だったと述べている。
 このこと一つとってみても、子どもの発達にとって学校がいかに大切な仕掛けであるかがわかろうというものである。

(ISBN4-571-21501-0 C1311 \1200E 1977,2 福村出版 2007,2,14 読了)