阿部善雄『最後の「日本人」』

 1983年に刊行された同名の書の文庫版。
 明治から昭和戦前期にかけて活躍した、在米の日本法制史・制度史家だった朝河貫一の史伝である。

 朝河貫一は、日本の史学史にはまったく登場しない。
 その原因はおそらく、彼が在米の研究者で、日本語で史書を書かなかったためだろう。

 彼の歴史家としての業績については、本書においても立ち入った分析が行われていない。
 日本における近代歴史学の草創期における、英語で書かれた日本制度史研究を十分に消化するのがいかに困難だったかは容易に想像できる。

 本書は、侵略戦争の時代を、在米の著名な研究者として朝河がどのように考え、どのように行動したかを詳述している。

 現代の歴史学は、日本の各地域のアイデンティティを明らかにすることを主要なテーマとするまでに成熟しているが、明治〜大正期にはヨーロッパとの比較によって日本の独自性を明らかにするという方法が十分に有効だった。

 朝河は、アメリカ人の気質・アメリカの世論・アメリカの民主主義を深く観察し理解した上で、折々の日本の国家戦略について、実力者・有識者への私信などの形で多くの提言を行っている。
 彼の提言の多くは的確で、時代の制約を感じさせない洞察に満ちている。

 例えば彼は、日露戦後に愛国心について、このように述べている。

 国のためならば正義に反してもよい、正しい個人の名誉を傷つけもよいという考えは、旧式な日本の遺物であり、こうした思想は一時的な国利を重んずるあまり、永久の国害を論ずる人々をさえ非愛国者として遇してしまう傾向がある。

あるいは、
 国家の精神的基盤を強化するには、まず国民に反省思慮させる習慣を養う努力が必要であるが、これは教育の力だけでは実現するものではない。何よりも国家自身が公平と正義を原則とし、困難と戦うことによって、これを克服する政治姿勢を錬磨して堂々と進まなければならない。

 さらに第一次大戦中には、
 反対者を圧迫しようとして中央集権が強化される結果、官僚的・武断的な傾向も生じ、教育も形式的・作為的となり、国民の政治上・思想上の自由は後退をよぎなくされてしまう。こうした国家は、たとえ外観は富強にみえても内実は暗愚で、国民も傀儡に過ぎなく、もはや国際的に孤児の地位に甘んじなければならないであろう。

等々。

 破滅に向かって走る日本に対する彼の最大のアプローチは、太平洋戦争を目前にした時期における、開戦回避にむけたルーズベルト名による昭和天皇への親書運動だった。
 現時から見れば、満州への侵略を決して断念しなかった当時の日本に開戦は不可避だったが、破滅しようとする日本を放置することはできないだろう。

 ほとんどの日系人が財産を奪われた上、強制収容所に収監されていたにもかかわらず、アメリカ国内で基本的人権を保障されていた朝河だからできた行動だともいえるが、その努力はもちろん実を結ばなかった。

 はなはだ絶望的な時代にもかかわらず、このような日本人がいたということに、大いに心強く感じ一方で、国は、その民度相応の将来を運命づけられているのかという思いにもなった。

(ISBN4-00-603094-0 C0123 \1000E 2004,7 岩波現代文庫 2007,1,28 読了)