宇江敏勝『山びとの記』

 同じ著者による『炭焼日記』の読書ノートに「この本で見る限り、著者は、山林作業の経済や自然環境や、生活自体を記録することにさほど熱心ではないようです」などと失礼なことを書きましたが、こちらの本には、山林作業の経済や食べ物や祀り等についてたいへん詳しく書いてあります。

 著者は、森林組合の作業班、旧村有林での組合による造林、民有林での造林などに従事されています。
 造林現場の暮らしについて、くわしく記した本に初めて接した思いがします。

 昭和30年代に著者が働いた作業班時代は、チェーンソーも刈り払い機も使わず、鋸と鉈・鎌で地拵えから下刈りまでをこなされています。
 この仕事のようすを読んでいると、この時代は、共同生活をしながら体力と技術を競い合う若い山林労働者のエネルギーがあふれていたようです。

 40年代に入ってからの組合造林の現場でも、大所帯が造林小屋に暮らしながら、山仕事をこなしています。

 さらに奈良県野迫川村での民有林での造林。
 民有林でも、志ある山主は大規模な造林に投資していたのです。

 著者が造林に従事されていたのはキリクチ谷。
 その名を聞くと行ってみないではいられない地名です。

 40年代末からは、造林作業が行われているそばで、ダム工事が始まっています。
 この時期から、造林の現場に、チェーンソーと刈り払い機が導入され始めます。

 機械の導入による現場の変化に関する著者の分析は鮮やかです。
 エンジン機が使われるようになると、機械での仕事能率を基準にして請負単価が決められるが、それは相対的な賃金切り下げとなる。
 さらに労働者は、機械の導入によって道具を駆使する能力を失う。
 振動病による障害が不可避であることとも併せて、著者はこれを「機械中毒」と喝破しています。

 それ以降、すなわち外材輸入の激増に伴う全国的な林業衰退と前後して、著者は林業の現場から離れられたようです。

 釣りの途次に、伐採・造林小屋の残骸と遭遇することがしばしばあります。
 まだ建っている小屋もありますが、無惨につぶれた屋根や柱のあいだから若木が伸びているようなところもあります。
 割れた一升瓶の山や陶器のかけら、風呂桶、残稚されたままの鉄索用ワイヤなどは、その場で行われた山林作業の、どのような場面を語っているのか。

 秩父の山に、この著者のごとく往時を書ける人がいればぜひ読んでみたいものです。

(ISBN4-12-100578-3 C1295 \740E 2005,5 中公新書 2006,10,26 読了)