斎藤貴男『空疎な小皇帝』

 (障害者に対し)「あの人たちに人格があるのかね」
 (同じく)「自分自身のアイデンティティを持たない人の命も尊重する日本人独特の感性」
 「女性が生殖能力を失っても生きてるってのは無駄で罪です」

 (都議会本会議で女性議員に対し)「黙って聞け、この野郎。失礼じゃないか貴様」
 「中国人が反日デモを繰り返すなら尖閣諸島に自衛隊を送り込み、中国船がいたら撃沈しろ」
 「近頃の若者に元気がないのは戦争がないからだ。国全体を緊張させるためにはやっぱり戦争だ」
 「私が総理だったら(拉致された人々を)戦争してでも取り戻す」
 「北朝鮮がああいうテポドンを作り出した。僕はうっかり言ったんですね。あれならとにかく一発日本に打ち込んでもらいたい、と」

 これらはすべて、石原慎太郎の言葉です。
 日本はいったいどうなっているのか。

 論理的な政治家より「わかりやすい」小泉純一郎が圧倒的に支持される。
 臆病なくせに好戦的な言辞を弄し、女性や弱者に対する徹底的な差別意識を隠そうともしない石原慎太郎に至っては、得票率7割という支持率を得る。

 日本の将来にはもう、希望を持つべきではないのかもしれないとさえ思えます。
 しかし本書などを読んでみれば、石原慎太郎の権力構造が見えてきます。

 まずは、上層部を介して左遷圧力をかけて、最前線の記者をコントロールすることによるマスコミ操作。
 これによって、多少なりとも良心のある記者は記者クラブから排除され、タイコ持ち記者だけが世論誘導記事を垂れ流しています。

 次にヤクザまがいの人物を副知事に登用して都政を実質的に仕切らせ、徹底的な恐怖政治によって役人をコントロールする職員管理。
 これによって役人の多くは、石原が喜ぶ施策をいかに考え実行するかに腐心するようになっています。
 暴走する都教委は、この好例。

 批判に対しては、暴言や暴力によって対抗し、相手を威圧します。
 都議会「野党」である民主党の女性議員さえ、議会でタイコ持ち発言によって石原を持ち上げています。

 石原慎太郎を知事に選ぶ東京都民の責任は重大ですが、彼の横暴と闘おうとせず、彼をのさばらせているマスコミや都の官僚、都議会「野党」の罪は許されがたいものがあります。

 闘う意志があれば闘えるにもかかわらず、自分の良心を捨てて小皇帝に荷担する中間層が、この国を破滅に導くのでしょう。
 われわれ小市民としても、足もとの小さな横暴に対し、きちんと声をあげていきたいものです。

(ISBN4-480-42246-3 C0136 \760E 2006,8 ちくま文庫 2006,9,26 読了)