大平健『豊かさの精神病理』

 モノを語る人々の群像を、精神科の医師が分析しています。

 ここで言う「モノ」とは、ブランド品であったり、グルメであったり、ペットであったり、恋人であったりしますが、総じて彼らは、そのモノを身にまとうことによって自分の価値が大きくなると考えています。


 恋人やペットはモノではありませんが、彼らにとってはモノと同じです。

 モノ語りな人々を「異常」と評すべきではないでしょう。
 多かれ少なかれ、現代人は、モノに囲まれて暮らしており、その暮らしを快適にも不快にもするモノについて語ることは不可欠だからです。

 注目すべきは、彼らが、モノはあくまで人の暮らしに従属するものだとは考えず、身にまとうモノに対し人が従属的な位置にあると思っている点です。

 モノは使うことによって(言っておきますがペットや恋人はモノではありません)意味をなすのであって、身にまとうものではありません。

 病んでいるのはモノ語りな人々ではなく、人間より経済に価値があるかのごとく錯覚している、拝金思想にまみれた現代社会です。

 モノの価値が、それを身にまとう人間の価値を決定するというのはどう考えても倒錯していますが、そのような人々は、人よりモノだという倒錯した社会に過剰適応してしまったに過ぎません。

 彼らが正気に返る必要があるのかどうか、わたしには何とも言えません。
 倒錯した社会にあっては、倒錯した人間の方がストレスフリーに暮らせるでしょう。

 しかし歴史とか生態系とかいったレベルで人の暮らしを考えてしまうと、「モノ語り」な人々とは「豊かさ」とは全く無縁の、一種の狂態だということが見えてしまいます。
 もっとも、それがゆえに観察の対象としては、じつに興味深い種類の人々なのですが。

(ISBN4-00-430125-4 C0247 P550E 1993,9 岩波新書 2006,9,17 読了)