大穂耕一郎『春の小川でフナを釣る』

 日本の川が、世界一般の川とくらべてどういう特徴を持っているのかとか、日本の川が生態系や日本人の歴史においてどのような存在であったのかについて、わたしは、くわしい知識を持っていません。

 が、日本の生態系の幹をなしているのが、川だということは、まちがいないだろうと思います。

 歴史的に見ても、日本の川は、原始の姿のまま現在に至っているわけではありません。
 日本の川で、多少なりとも原始的な姿に近いのは、北海道の一部の川に限られるでしょう。

 日本の川の多くは、日本の自然条件にマッチした暮らしに適した形へと改変されて、近代を迎えたはずです。
 日本人の暮らしに適した形とは、山地から平野部に流下するときに、そうとうの水量が水田へと取水されたのち、川に戻されるために、ため池や堰や用水路という独特の経路をたどるということです。

 夏の高温と多雨、冬の豪雪という日本の気候のもとで、山岳にくらべると決して広くない平野を徹底的に有効利用して水田耕作を営むというのが、日本人の暮らしでした。
 こうした暮らしにとって、平野の向背にそびえる山岳地帯は、無駄な(じゃまな)地帯ではなく、水源を涵養する上で必要不可欠な存在でありました。

 だから江戸時代の権力者たちは、徹底的に山を大切にしてきたし、庶民は、里山を神に見立てて、祠や石造物を建立する労苦をいとわなかったのです。
 どこの里山にも見られるこのような石造物に、わたしが無関心でいられないのは、ひとつひとつの石造物の裏にある、水をめぐる思いに、想像をめぐらしてしまうからです。

 こうした日本人の暮らしと裏腹に生きてきたのが、フナやメダカ、ゲンゴロウなどを代表とする、里川・ため池・用水路の魚や昆虫たちでした。

 目の前のあぶく銭のために山を破壊し、価格競争に勝つためと称して田んぼを薬漬けにするやり方が、日本の自然にとってどういう意味を持っているのか。
 この本には、里の魚を通して見た日本の農業の姿が、描かれています。

 わたしはずっと、イワナやヤマメを通して、日本の森と山村の姿について、考えてきました。
 里川を知らないと、源流のことは、ほんとうにはわからないと思っていましたが、この本を読んで、その思いを新たにしました。

 そういえば、フナを釣らなくなってから、もう30年になります。
 わたしもいつか、フナ釣りを再開してみたいと思いました。

(ISBN4-89623-016-7 C0095 \1600E 2001,4 まつやま書房刊 2001,11,1 読了)