片倉もとこ『イスラームの日常世界』 山内昌之『イスラームと国際政治』

 アメリカによるアフガニスタンへの武力攻撃が、始まりました。
 ブッシュは、攻撃は、テロリストとそのグループに対するものだと言明していますが、空爆やミサイル攻撃において、攻撃対象を選別するなど、あり得ないことです。

 決して許されない無差別テロは、史上まれにみる犯罪でした。
 それはブッシュが言うような戦争ではありません。
 犯罪は、容疑者を逮捕し、事実を明らかにし、容疑者に責任をとらせることによって、解決するしかありません。
 アメリカが、ビン=ラーディンが主犯だというなら、その証拠を示し、アフガニスタンに引き渡しを求めればよいのです。

 この文章を書いている今現在、アメリカは、あのテロがビン=ラーディンによる犯罪だという証拠を、公けにしていません。
 まして、タリバン政権が、テロとどうかかわったのかなど、まったく明らかになっていません。
 ブッシュのように、テロリストを幇助するものはテロリストであり、敵であるという論に立てば、テロに直接関係のないアフガン市民を殺害するテロ行為を実行したアメリカはテロ国家であり、それを幇助するという日本も、一種のテロ国家だという論も成り立ってしまいます。
 現に、タリバンは、ウズベキスタンに、宣戦を布告しました。

 この戦争は、誰にとっても、得るもののない戦いになると思われます。
 かりに、タリバン政権が崩壊して、アメリカの傀儡政権が成立し、ビン=ラーディンが捕まったとしても、アフガンとイスラム世界に、アメリカとその同盟国に対する深い怨念と、イスラム国でありながらアメリカに協力した国への埋めがたい亀裂が、残るだけではないかと思います。
 チェイニーの言うような長期戦になったら、精神のみならず、物質的な荒廃が深刻になるだけのこと。
 もしパキスタンに原理主義政権が作られたら、核戦争に発展する可能性も、十分あり得ます。

 東西対立の20世紀の次は、宗教や文明をめぐる対立が訪れるのでしょうか。

 この対立の根っこには、西欧文明の傲慢さという問題があるように思います。
 わたしは、近代化を、基本的に肯定する立場でおります。
 近代化によってはじめて、個人が解放されたと考えるからです。

 しかし、キリスト教(やユダヤ教)文明は、絶対的ではありません。
 いかなる宗教・イデオロギー・社会制度においても、個人は確立してあるべきなのです。
 そして、個人の確立とは、他者の内面への寛容によって、完成します。
 傲慢さは、亀裂を深刻化させるだけです。

 東西対立に、人類が費やしたのは、約70年という時間。
 今後予想される文明の対立に、どれほどの時間が必要なのでしょうか。
 武力の行使以外の知恵を、われわれはまだ、持ち得ないのでしょうか。

 『イスラームの日常世界』は、ムスリムたちの日常と精神のありようを興味深く紹介した本。
 わたしたちにとって、ムスリムが、よき隣人になりうることを、学ぶことができます。

 『イスラームと国際政治』は、アフガニスタンを含め、イスラム世界のパワーポリティクスをわかりやすく解説した本。
 イスラムと西欧双方に内在する、異文明への不寛容を、しっかり衝いています。

(『イスラームと国際政治』 ISBN4-00-430583-7 C0222 \640E 1998,10 岩波新書 2001,10,10 読了)