網野善彦『日本社会の歴史(上)』

 読む順序が上中下バラバラになりましたが、ようやく時間ができて、上巻を読むことができました。


 最近、中学校用の歴史教科書をめぐる議論が、話題になっています。
 問題の教科書に目を通す機会に恵まれていないのですが、問題をしかけているグループの人びとの歴史観は、明治以来普及させられてきた歴史観と相似形であるように思います。

 歴史は、物語ではなく、科学です。
 科学的ということは、体系的に説明可能であるということです。
 わたしはそう思っているので、一種の物語のようなニュー皇国史観やニュー国家主義史観は、歴史学とは似て非なるものと思っています。

 著者らによって確立されてきた、社会史という方法は、階級闘争史観からはこぼれ落ちてしまうような、人びとの生活の歴史を、時代の中にひとつひとつ位置づけ、私などが今まで目にしてきた歴史とはまったく異なる日本史像を描き出してくれます。

 上巻は、国家形成以前から平安時代初期までの歴史です。

 国家形成期の日本史は、どうしても、記紀(古事記や日本書紀)をはじめとする、ヤマト政権側の正史に依存して書かれざるを得ません。
 どのように描写するか以前の問題として、どの史実を記述するかということに、記述者の歴史観が、まずは反映するわけですから、記紀に依存すること自体、記紀の枠内での歴史たらざるを得ないのです。
 それはやむを得ないですが、断片的に残っている民衆の生活記録を、歴史家が綴り合わせることで、いかに記紀中心史観から自由になれるかが、この本を読むことで、わかりました。

 結論的にいえば、律令による国家体制が確立したあとも、東北を典型として、地域有力者の支配権は、依然として存在していたし、水田や畑作以外を生業とする、支配の網の目にかからない人びとも、数多く存在しました。

 明治国家のような一元的国家支配や、国家意識などというものとは、まったく無縁の混沌が、古代の日本だったと言っていいと思います。

 秩父山間部には、牧(馬を飼育するところ)が存在したとする記録があります。
 牧の位置は、地形から推察するに、奥秩父ではなく、秩父盆地の周縁部であったかと思いますが、そこには、国家とつかず離れずの関係を持つ地域有力者や、彼らと緩やかな被支配関係を持つ地域住民の生活があったことが想像されます。

 いずれにせよ、関東山間部の住民にとって、ヤマトの国家などは、はるか遠くの、リアリティのない存在であったことと思います。

 おいおい、中巻を読んでみようと思っています。

(ISBN4-00-430500-4 C0221 \660E 1997,4 岩波新書 2001,7,25 読了)