松中昭一『きらわれものの草の話』

 またまた、雑草の本です。
 こちらは、除草剤の専門家がお書きになった本なのですが、近ごろ、「専門家」のいうことを慎重に疑ってみる癖がついてしまったわたしとしては、いろいろと感じることがありました。

 わたしは、農薬(除草剤や除虫剤)も使わないで、菜園を楽しんでいます。
 春から秋にかけては、除草の毎日です。
 以下のことは、生活のかかっていないアマチュアだから、言えることかもしれません。

 農耕社会が訪れて以来、日本人は、雑草と戦いつつ、農業を営んできました。
 気候が温暖で、かつ多雨なこの国の農業労働のかなりの部分は、雑草との戦い(除草)だったのではないかと思われます。

 除草の省力化は、農業者の要望でもあったでしょうが、それ以上に、競争を基本とする商品経済の要望であったと思われます。
 このことは、この本に、具体的に書かれています。
 たとえば、除草剤使用による水田1haあたりの経済効果は、

除草剤不使用の場合の除草労力(506時間)−除草剤使用による除草労力(20時間)=486時間
時間あたり労賃(960円)*省力された労働時間(486時間)=46万7000円
節約された労賃(46万7000円)−除草剤代金(3万円)=43万7000円

となるそうです。
 この数字を見る限り、農業者にとって、除草剤を使わない方が、ばかばかしいといわざるを得ません。
 もし除草剤を使わなければ、上のコストは、農産物の価格に転嫁されますから、最終的には、消費者がその経費を負担することになります。

 著者にすれば、これはとても、非合理的なことで、「私は、除草剤を使わないで作った米をどうして高値で買う人がいるのか未だに不思議です」と述べておられます。
 ところが、わたし自身は、なるべく「アイガモ育ち」などを買うようにしています。(売り切れになってることが多い)
 それは、薬を使って作った農産物は、なるべく避けたいという気持ちがあるからです。
 なぜ避けたいのかといえば、安全性が気になるからであり、農薬の安全性に無感覚な人のではなく、食べ物の安全に気を配っている生産者の作ったものを買いたいからです。

 安全性について、行政と業界のいうことは、基本的に信用できません(今まで信用するに足りる情報公開など行われていないから)。
 とりあえず、学者の説には、耳を傾けたいと思います。

 著者は、除草剤の持つ経口急性毒性(直接飲んだりしたときの毒性)が僅少であることを、力説しておられます。
 それはそうかもしれませんが、除草剤の持つほんとうの怖さは、そこにはなく、体内蓄積による影響や環境ホルモン効果などの点にあると思います。

 環境ホルモン効果について、著者は、「現時点では何とも言えない」と言っておられます。
 これが、まっとうな評価だろうと思います。
 そしてそれを、どう受け止めるかは、消費者の価値観なのです。

 遺伝子組み替え作物について、著者は、いたずらに不安がることを戒めていますが、安全であるとは、断定していません。
 これまた、消費者の価値観が問われています。

 最後に、出荷用には薬を使うが、自家消費用には薬を使わないで農作物を作っている農業者が、少なからず存在する事実を、どう考えるか。
 これも、ひとつの価値観による選択なのです。

(ISBN4-00-500321-4 C0245 \700E 1999,5 岩波ジュニア新書 2001,7,24 読了)