天野礼子『ダムと日本』

 日本において、ダムをはじめとする公共事業が、政治や市民運動の中で、どのように位置づけられてきたかを、著者の体験に基づいて、略述した本。


 もちろん、ダムをはじめとする無駄な公共事業を告発する立場から書かれています。

 ダムの問題は、日本をどんな国にしていくかというテーマにおける、最も本質的な論点になると思われます。
 100年前に、田中正造と渡良瀬川下流域の農民たちが、日本の近代化をめぐって、象徴的な闘いを闘ったのと同じくらいの、歴史的意味があると思います。

 数日前に、数日前に、また、足尾に行って来ました。
 足尾の山は、虚構の近代化の舞台裏です。
 足尾に行くと、日本の近代化がいかに見かけだけのものにすぎなかったかが、よくわかります。

 日本のダム建設は、虚構の近代化の上に、もう一つの虚構を造ろうとするものです。
 治水、利水、灌漑、発電など、ダム建設の言い訳のどれひとつとして、まともな説得力を持つものは、ありません。
 リアルなのはただ一つ、ダム建設に群がって、利益を得ようとする政官業の利権トライアングルだけです。

 100年前と今のちがいは、ダム反対の運動が、正造たちほど孤立して闘われているわけではない点です。
 著者が、ダム反対運動のネットワーカーであることは、みなさんもご存じと思います。
 利権と権力の両刀を持つ政官業トライアングルに対して、国際的なアンチ・ダムネットワークが、対峙しています。

 長野と栃木における反ダムの流れは、逆風に立たされているようにも見えます。
 ダムに勝った木頭村も、試練の時を迎えています。

 日本はどうあるべきなのか。
 ここ100年の歩みを振り返り、正造の言葉を反芻してみる必要があるのではないでしょうか。

(ISBN4-00-430716-3 C0236 \700E 2001,2 岩波新書 2001,7,23 読了)