加藤憲司『よみがえれ ふるさとの川と魚たち』

 生態系とは、一定の地域における、生き物相互の関係のひとまとまりのことと、理解しています。

 地球が、前回の大きな気候変動ののち、現在の自然環境のもとにおかれるようになってから、さまざまな生き物が、現状に適応してき、また淘汰されていきました。
 各地域における現在の生態系は、このような適応の所産です。

 それなら、農業や養殖漁業だって、生態系破壊ではないかという意見もあろうかと思います。

 そういう考え方にも、一定の正当性はありそうです。
 しかし、農業や養殖漁業は、あくまでも、だれかの責任のもとで、責任を明確にして営まれている活動です。
 それらは基本的に、自然に対する人間のコントロールの範囲内にあるはずです。

 人間は、責任もってコントロールできる範囲内において、自然を改変・利用してきたわけで、それがまさに、人間を人間たらしめている根拠でもあります。
 中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』(岩波新書 ISBN4-00-416103-7 C0245 \700E)などを見ると、現在の栽培植物が、数千年に渡る品種改良によって作り出されたことがわかります。
 しかし、人類史上のこうした種の改変は、たとえば遺伝子組み替え技術のように、将来、取り返しのつかない事態を招かない保障のないようなものではありませんでした。

 人間の都合によって生き物のすみかである河川をめちゃめちゃに破壊したり、日本の湖沼などへのブラックバスを乱放流したり、渓流への非在来イワナの密放流をしたりするなどの行為も、将来に対する見通しをまったく欠いた、愚かなことと思います。
 なぜ人間は、愚かとわかっていながら、そのようなことをするのか。

 やっぱり、人類は今、進化の岐路に立っているのだと思います。
 今までの人類は、自然環境の変化に受動的に対応して、絶滅や適応をくり返し、現在に至ったわけですが、現代人はおそらく、自らの力で環境を激変させ、今の肉体的・知的レベルでは適応不能な状態に自らを追い込みつつあるのではないかと思われます。

 この本にでてくる魚たちのほとんどは、日本人にとって、近年までたいへんなじみの深い魚たちでした。
 今までの日本人は、日本の生態系と、なかなかうまく折り合いをつけながら、生活をつくってきたのでした。
 自然環境をめぐる現実は、日本人にとって、より暮らしにくい日本を作ろうとしているようにしか見えません。
 条件的に可能であれば、食べ物の、より完全なリサイクルなど、やってみたいと思っています。
 それが、より日本人らしい暮らしだからです。

 ところで、在来イワナの保護にかかわっているわたしとしては、この本で述べられているイワナ保護の考え方に、たいへん共感しました。
 というより、わたしや友人が考えてきたこととほぼ同じことが述べられているので、おおいに意を強くしたしだいです。

(ISBN4-947637-71-4 C0045 \1600E 2001,3 リベルタ出版刊 2001,5,2 読了)