菅聖子『山里にダムがくる』

 全国8ヶ所のダム建設予定地の住民を取材したルポというか、取材ノートという感じの本。


 取材ノート的な印象を受けるのは、取材や分析がもの足りないという意味ではありません。
 ひとつひとつのダムの必要性や経済効果や、建設計画の決定に至る経過などを、取材の対象にしていないというだけのことです。

 ダムにねらわれた村が、どのような苦しみを味わうことになるかについては、この読書ノートのなかの『八ツ場ダムの闘い』『 村とダム 水没する秩父の暮らし 』などを、ごらんいただければ、よくわかると思います。

 このルポで、闘う人や出ていく人たちから、著者が聴きとってきたのは、ダムによってなにが失われていくのかということのようです。
 村に根を張って生きてきた、何十世代もの人生の積み重ねを、ダム建設というほんの一瞬の工事によって消滅させることの意味が、問われています。

 その問いへの答えが出せる人はいないでしょう。
 だって、答えはないのですから。

 日本人はいつから、先のことを考えない行動をするようになってしまったのでしょう。
 中央と地方を問わず、政治や経済に携わる人々にとって、将来とはいったい、どれくらい遠い将来のことを言っているのか。
 マスコミからは、ひょっとしたら、この人は、数ヶ月先の株価のことくらいしか、考えてないんじゃないかと思わせられる、政治家の発言なんかが、伝わってきます。

 原生林の樹木だと、ひと世代が百年から数百年。
 せめて、樹木ひと世代分くらいの(決してそれで十分とは言えませんが)長いスパンで、ものごとを考えるべきではないかと思います。

 この本などの中にも、ヒントがたくさんちりばめられています。

(ISBN4-635-31011-6 C0095 \1500E 2000,5 山と渓谷社刊 2001,2,28 読了)