鎌田慧『六ヶ所村の記録(上・下)』

 10年前に出た本ですが、ようやく目を通すことができました。
 取材するというのは、こういうことなのだと、よくわかりました。

 ひとつのものごとを、資料に基づいて、徹底的に調べる。
 そして、賛否双方の関係者から、さらに意見や情報を聞く。
 問題の本質をえぐり出し、関係者に迫り、権力の横暴や不正を告発し、からだで民主主義を張る人々を紹介する。
 権力者やスポンサーにとって都合のいい記事をたれ流すマスコミとは、対照的です。

 下北半島は、訪れたことのない土地です。
 生活していく上でのきびしさは、十分に想像できます。
 しかし、きびしいながらも、山と海の幸に恵まれたところでも、あると思います。

 かつて、下北に対する私の印象は、高山植物や大イワナ、恐山の民俗などが中心でした。
 しかし、今では、核燃料サイクル基地や低レベル放射性廃棄物貯蔵施設などを中心とする原子力産業の終端施設の村という印象が強くなりました。

 この村ではなぜ、このような施設を受け入れているのだろう、と疑問に思っていましたが、この本を読んで、その背景に、農業無策があり、政界・財界の陰謀があったことが、理解できました。

 農業無策のことについては、いろんな本で学んできましたが、下北の「開発」をめぐる陰謀には、驚いてしまいます。

 この国では、私企業と政治家・官僚との癒着に、明確な一線が引かれていません。
 どうしてそのような構造が、いつまでも続いているのでしょうか。
 とても、理解できません。

 それがある限り、日本の農山漁村は、永遠に、「政・官・業」の食い物にされ続けるのではないでしょうか。
 日本に原子力産業が必要だと主張したい政治家は、原子力産業とのつきあいは、絶つべきです。
 そうすれば、発言にも説得力があるというものです。

 また、政治家や行政担当者は、自分のなした仕事について、人生の最後まで、責任を持つべきです。
 担当が代わったからわからない、などという遁辞は、通してほしくありません。

 そういうなかで、開発幻想とたたかい続ける生活者たちのことばには、とても説得力がありました。
 大地のなんたるかや、海のなんたるかを知悉しているからこそ、確信を持って、開発の無意味さを嗤うことができるのでしょう。
 それが、たいへん暖かいものとして、心に残りました。

 上下2巻を読んで、たいへんよい読書ができたという気分です。

(上巻 ISBN4-00-002576-7 C0036 P1700E 1991,3 岩波書店 2001,2,2 読了)
(下巻 ISBN4-00-002577-5 C0036 P1800E 1991,4 岩波書店 2001,2,5 読了)