石川徹也『日本の山を殺すな!』

 日本各地の山が登山者や盗掘人や、林野庁や行政などによって、いかに破壊されているかを告発した本。

 北海道から沖縄・山原の森に至るまで、著者が足を運んでのルポなので、いずれも、それなりの説得力があります。
 そのことを評価した上で、この手の本を読んで、最近感じることを、書いてみようと思います。

 山の破壊の多くは、観光や産業のための開発行為と裏腹に進められています。
 観光や産業開発がおこなわれる背景には、それらの行為に利権を持つ建設会社や電力会社やレジャー資本の暗躍があるものと思われます。
 それを追及していかないと、ルポがなにを告発したいのか、はっきりしなくなってしまうように思います。

 また、これらの利権は、農林業の不振を原因とする地域住民の生活問題と関連する場合が多いのです。
 都市住民と同程度の生活を確保したいという地域の人々の気持ちと、山を守れという登山者や都市住民の気持ちとが、すれ違っています。

 ルポは、これをきちんと説明づけ、解決の展望を示すべきだと思います。

 著者は、登山文化を大切なものと思っておられるようです。
 それは、大事なものだと思います。
 でも、地域に根ざした登山文化を、どうやって作っていくかを展望しなければいけません。

 日本の山を守るために、なにをしなければならないのか。
 根本的に改めなければならないのはどういうことで、現状の改革ですむのは、どういうことなのか。
 それらを整理する必要があるように思います。

 たとえば、私は、上高地に至る登山鉄道の発想について、「集客の手段」と一蹴するのではなく、もっと深く研究した方がいいと思いました。
 自動車にくらべれば、鉄道は、やり方によっては、はるかにローインパクトな交通手段になり得るのです。
 登山や観光に、入山制限や資格制度など、何らかのレギュレーションを課すというのも、ひとつの方法ではあります。
 それは、制度改革だけで可能なことなのですから、必要があれば、やればいいと思います。

 しかし、わたし自身その中に浸かっていることの反省も込めて言うのですが、登山や観光へのアプローチは、マイカーによるものではなく、よりローインパクトなものへと、変わっていかなければならないのではないかと思います。
 これは、「より便利」から「よりローインパクト」への、根本的な発想の転換です。

 「より便利」に毒された悪しき現代の登山文化は否定され、ローインパクトであることを至上の価値とする登山文化が作り出されなければ、なりません。
 そのためには、お金がかかっても、しかたのないことでしょう。

 登山文化の創造には、ジャーナリズムによる部分も大きいと思います。
 もう少しつっこんだ分析とともに、もっと大胆な問題提起をしてほしいという印象を持って読み終えました。

 なお、本文中に「コンクリートの表面から出たアクによって、渓流の石に藻がつかなくなる。すると藻を食べている川虫がいなくなる」という趣旨の記述がありましたが、渓流の生息する川虫の多くは、落ち葉を食べています。堰堤などの工事のあと川虫がいなくなるのは、コンクリートから侵出するアクすなわちアルカリ分によって、水質が悪化するためでしょう。
 このあたりも、きちんと究明して書いてほしかったところです。

(ISBN4-7966-1671-3 C0236 \660E 1999,12 宝島社新書 2001,1,23 読了)