金子陽春他『ブラックバス移植史』

 わたしは、イワナの生息する川へ在来種のイワナを放流することの是非について、真剣に考えているのですが、巷間さまざまな話題を提供しているブラックバスの移植・放流が、どのような考えのもとに、どのようにしておこなわれ、どのように総括されているのかに関心があって、この本を手に取りました。

 (わたし自身は、バス釣りには、さほど関心がありませんが、富士山麓の西湖で一匹、ミノーを使って釣ったことがあります。)

 この本によると、ブラックバスの日本への移入(1925=大正14年)の動機は、乱獲によって魚の激減した日本の河川湖沼に釣りの対象魚としての長所を完備したブラックバスが好適であると判断された点にあるといいます。

 いまの時点で考えるなら、ここにおいてまずは、生態系への配慮がなされるべきであったと思いますが、当時の日本には(今でも)生態系を大事にするという発想はなかったのですから、移植者のみを責めるのは、あたらないと思います。
 じっさい、レインボウ・ブラウン・ブルックなどの外来魚も各地に放流されています。

 そういう中にあって、バスが問題視されているのは、生態系を無視した人為的な移植放流が、野放図な形でおこなわれ、日本の野池の生態系を乱しつつあるからではないかと思います。
 著者らは、バス害魚論に対し、データに基づく議論をすべきだと述べています。
 それはそうです。
 しかしそれなら、データもなしに移植放流をした人々の責任は、どうなってしまうのかと思います。

 害があるかどうかではなく、日本在来の内水面の生態系にインパクトのない釣りを、めざすべきではなかったかと思います。
 生態系に、利も害もないのです。
 経済効果とか、釣り人のニーズとかいう議論と、生態系の議論を、ごっちゃにしてはいけません。

 経済効果を第一に考える発想は、20世紀で終わりにしたいと思います。
 今世紀は、日本の風土や自然に無理のかからない、暮らし方を考える時代にしたいもの。

 密放流などする人は、そのことの結果に、責任を持ってもらわなければなりません。
 しかし、くずれてしまった生態系は、元には戻りません。
 責任を持ちきれないようなことは、すべきではないでしょう。

 * わたしは、バスフィッシング自体を否定するものではありません。

(ISBN4-88536-240-7 C0295 \950E 1998,2 釣り人社刊 2001,1,2 読了)