飯野頼治『秩父の木地師たち』

 前の読書ノートに関連する小冊子で、明治から現在に至るまでの、秩父地方の木地師たちの足跡を、主として聞き書きによって、明らかにしています。

 この本によると、秩父の木地師の作品はおもに、木鉢であったということです。
 材は、樹齢100年以上のトチとカツラ。シオジやケヤキも使ったが、主としてトチだったそうです。

 炭焼きがトチを使わないので、炭焼きと共に行動することも多かったので、家族を含めると、おそらく10人以上の集団で、奥秩父の森を転々と暮らしていたとのこと。
 そのような集団がいくつもあったのですから、材木会社の進出する前の奥秩父も、たいへんにぎやかだったはずです。

 少しですが、釣りの話も出てきます。
 置きバリでイワナをとる話と、鳥の羽で作った毛鉤を使ってイワナを釣る話。
 わたしたちが遊んでもらっているイワナの中には、この人たちが滝上放流したイワナも少なくないのではないかと思います。

 定住地ももたず、森を住みかとする人々は、よほど貧しかったのかというと、山仕事の家の方が金に裕福だったという回想があるなど、はっとさせられます。

 奥秩父のトチやカツラの木は、ほとんどすべて、渓沿いに生えています。
 ですから、木地師たちの小屋も、沢のそばに掛けられていました。
 どこそこの沢に何年いた、などと書いてあると、奥秩父の沢の多くを歩いたことのあるわたしには、その位置がすぐにわかるので、よくまああんなところで暮らしていたものと、驚いてしまいますが、この人たちは、自分たちの技にたいへんな誇りを持って暮らしておられたのだと思いました。

 それにしても、大除沢から1里の奥地だとか、矢竹沢から、上中尾の小学校に通っていたなどと聞くと、まったく恐れ入ってしまいます。

(\1500 1965,1 私家版 2001,1,1 読了)