鈴野藤夫『峠を越えた魚−アマゴ・ヤマメの文化誌』

 本書前半は、ヤマメ・アマゴ(サクラマス・サツキマス)の分布と呼称などについての研究、後半は、ヤマメ・アマゴ(サクラマス・サツキマス)の放流・移植についての研究です。

 『魚名文化圏 イワナ編』の感想にも書きましたが、わたしは、渓流釣りを趣味としており、渓流魚について、それなりに関心を持っています。
 秩父イワナについての問題意識は、こちらをごらんいただくとして、ヤマメについては、どうなのか。
 じつは、秩父ヤマメという概念に、実体があるのかどうかについては、いまだ明確な確信を持てないまま、秩父在来ヤマメにも、ささやかなこだわりを持っているのが現状なのです。

 秩父在来ヤマメについてのわたしの認識は、以下のようなものです。

 型の大小にかかわらず、釣り上げたときの体色がたいへんあざやかで、美しいこと。
 斑紋は普通のヤマメと同じく、パーマークと黒斑があり、測線付近にぼんやりと鮭色がかかり、各ヒレにも同様の着色を見る。
 放流ヤマメ及びその血統の入ったヤマメは、春にギンケ(斑紋が薄くなったり鱗がはがれてキラキラする)化している。ちなみに漁業団体による放流ヤマメは、2000年現在、秩父在来種ではありません。

 在来種には、上から見たとき、茶色い個体と青い個体とがいる。
 同じ種苗から育ったと思われる集団にも、その2系統がおり、茶系統の方が多い。

 その程度の認識ですので、わたしにとってのヤマメの問題は、ギンケの問題なのです。

 荒川水系渓流保存会では、秩父在来ヤマメを長年飼育し、自主的な放流活動を行っています。
 ここのヤマメには、ギンケがほとんど発生しません。
 ですから、秩父在来ヤマメとは、ギンケ化しないヤマメのことと、まずは考えていました。
 しかし、この在来種にも、少数とはいえ、一部にギンケが発生するのは、事実なのです。
 これを、どう考えるべきなのか。

 ヤマメも、ちょっとした「まちがい」を犯すことがあったのか。
 そんなふうに考えると、思考がストップしてしまいますから、もう少しきちんと考えたいと思っていました。

 サケ科魚類のギンケとは、降海に備えて、皮膚に耐海水性を持たせる変化のことです。
 ギンケ化しないということは、降海を予定しないということを遺伝子情報の中に組み込んでしまったということです。
 本州太平洋側のヤマメ単独生息域(アマゴと混生しない)としては、南限に近い秩父のヤマメは、かなり以前から降海をやめて陸封生活を送っており、永遠に降海しないと決めたとしても、不思議ではないでしょう。

 本書には、江戸時代以降昭和初期に至るまで、サクラマスが荒川を遡上していた事実が、記載されています。
 渡辺華山の記録によれば、遡上は熊谷までとのことですから、それが近代に至るまでのサクラマス遡上域だったとすれば、秩父在来ヤマメのランドロック歴は、たいへん長いということになります。

 ヤマメのギンケ化率は、南に行くほど、下がっていくとも、書いてあります。
 これは必ずしも、ギンケ化率がゼロになるということを意味していません。
 だから、秩父在来ヤマメの一部にギンケ化するものがいても、怪しむには足りないと言えるのかもしれません。
 そういうわけで、秩父ヤマメの謎に迫る手がかりを、本書から得ることができました。

 もうひとつは、移植・放流をめぐる問題。
 わたしは、生態系の攪乱につながる移植・放流には、否定的です。
 しかし、山村住民が、長らくおこなってきた滝上放流に象徴される放流は、日本人と日本の自然によって織り出された文化のひとつと考えています。

 できうるかぎり、これらの事実をあきらかにしたいものです。
 わたしは、自然から奪うだけの釣りにも、否定的です。
 いただくものは感謝しつついただき、きちんとお返しをする、そのことによって生態系をしっかり守っていくという釣りの精神を、現在の釣り人は、しっかり学ぶべきだと、思っています。

(ISBN4-582-82432-3 C0075 \2800E 2000,3 平凡社刊 2000,12,29 読了)