西口親雄『森の命の物語』

 森の樹木と生き物の関係について、やさしい語り口で説明した、著者の本を何冊か、読みました。
 この本は、樹木の「病」と「死」のメカニズムを解明した本です。

 この秋に、ひそかに畏敬していたブナの巨木に、ブナハリタケが大発生しました。
 それを見て、その巨ブナも、先が長くないのだな、と思いました。
 ブナの閲(けみ)してきた数百年という時間の長さを思うと、巨ブナなきあと、今後の秩父の森がどのように変化していくのか、不安に似た感慨を持ちました。

 ずっと以前、群馬県の玉原高原に、ブナハリタケをびっしりとつけた立ち枯れの大ブナがありました。
 その立ち枯れは、いつしか倒伏し、登山道をふさぎました。
 ハイカーたちは、登山道に横たわった大ブナを迂回するようになり、やがてしっかりと踏み固められた迂回路ができ、倒木は灌木に埋もれました。
 今年(2000年)にその倒木を見に行ったら、ずいぶん腐朽が進み、ほとんど原形をとどめていませんでした。

 一本のブナの死にも、このようなドラマがあるのです。
 ある友人は、あの巨ブナはまだ死なないのではないか、といってくれました。

 この本には、ブナの枯死スタイルについても、書かれています。
 ブナは、老衰によって生理活性が衰えると、傷口から細菌類が侵入し、組織を破壊する。
 破壊された組織には、サルノコシカケ類が侵入し、死んだ組織を分解し始める、とのことです。
 サルノコシカケ類が、どのようにして、生きたブナの生命を縮めるのかについては、書かれていません。

 昨1999年に、その巨ブナにヌメリツバタケモドキが出ているのを見ました。
 今年は、ブナハリタケでした。
 著者は、きのこが侵すのは、死んだ木質部のみだから、ブナは幹が空洞になっても、長く生きることができると、言われています。
 しかし、わたしは、枯死した木にしばしば発生しているこれらのきのこが出るようになった以上、巨ブナが今後も達者でいるのは、むずかしいような気がします。

 樹木の死を見つめていると、いろいろと考えさせられますね。

(ISBN4-7835-0215-3 C1045 \2800E 1999,10 新思索社刊 2000,12,11 読了)