山縣睦子『木を育て森に生きる』

 自然林と人工林のどちらが好きかと問われれば、どちらも好きだけど強いていえば自然林が好き、と答えるでしょう。


 また、自然林と人工林のどちらが価値があると思うかと問われれば、価値の意味が違うので、そんな問いは無意味だと答えるでしょう。

 山縣睦子さんのこの本は、相当面積の山林所有者として、経営としての林業をどのようにして成り立たせ、なおかつ人工林を含む森林の持つ、普遍的な価値をより鮮明にするには、どのような技術や経営手法が必要かを、経験的に語ったものです。

 山縣さんの場合は、大面積を管理されているので、間伐を収益のために積極的に位置づけ、経営を成り立たせることが可能だと説いておられます。
 中小の山林所有者や育林困難な山岳地帯では、なかなかその理論通りにいかない部分もあるかと思いますが、林業が経営として成り立たなければ、山村の経済的自立は不可能であり、山村が経済的に自立できなければ、山は荒れるか、放棄されるしかないのは、必定です。
 それがもっとも、困るのです。

 大型機械の積極的な導入については、100%同意しかねる部分もありますが、税制面での制度改善や、より効率的な経営手法を確立すべきだと言われている部分などは、その通りだと思いました。

 ところで、秩父地方でいえば、大滝村栃本集落の上部にあるみごとなスギ林などを見ると、私は、スギを育てる山主の方の、人間らしい心を感じます。
 なにを育てるにもそうだと思いますが、心を砕いて世話をしなければ、まともに育つものではありません。
 愛情を持って育てられた木とそうでない木は、見れば何となくわかるような気がします。

 育苗から植えつけ、下刈り、枝打ちという一連の作業を通して、木に愛情をそそぎ込んでいくことの大切さが、この本を読んでよくわかりました。

 ところで、私は一応かつて歴史学を学んでいました。
 山縣有朋といえば、秩父事件の際に軍隊を派遣してきた専制政府側の親分だということくらいは知っています。
 山縣農場を含め、那須に点在する華族農場が、ドイツの貴族農場を模して作られたものだったということなどは、大変興味がありました。

(ISBN4-7942-0842-1 C0061 P1900E 1998,9 草思社刊 1999,4,6読了)