加藤久晴『傷だらけの百名山』(正・続)

 ここで大きくとりあげられている山は、白馬、富士山、白山、槍、八ヶ岳、丹沢、大雪、苗場、利尻、谷川です。

 百名山といわれる山だけにかぎっても、よくまあ、これだけ問題があるものだと感心するくらいです。
 あきれてしまいます。

 この中には、東北の山がひとつも含まれていませんから、リゾートで揺れた鳥海、奥産道の岩手山などで起きている事態などをいれれば、日本の山がいかにひどいことになっているか、がわかるというものです。

 加藤氏の嘆き節山行を読んでいると、今の山をめぐる問題点は、大きく三つに分けられそうです。

 まず第一に、コクドを筆頭とするレジャー資本による山岳破壊と、それを側面・正面から支援する自治体幹部の問題。
 これはまさに、日本の社会構造の問題といえそうです。

 第二に、あまり自覚的でない登山者の問題。
 ホテルのスリッパを履き、浴衣掛けで谷川岳に登ってきた人の話を、山で聞いたことがあります。
 なるべく足を使わず山に登ろうとし、山では電話がほしい、風呂がほしいと、下界と同じ生活環境を求めようとする。

 第三に、丹沢や日光の立ち枯れの原因をなしていると思われる窒素や硫黄の浮遊酸化物の問題。
 これは、山に登らない人も加害者となっています。
 この本にはふれられていませんが、地球温暖化によって、高山植物の棲息範囲がどんどん狭められています。
 二酸化炭素や浮遊酸化物を排出するクルマの排ガスは、地球環境の主たる敵と化しているといってもいいのではないでしょうか。

 こう考えると、山を見ていると、今の日本が見えてくるような気がします。

 今なら美しい自然が残されているから、今のうちにそれを堪能しに出かけよう、というような発想は、すでに、消費者として自然を見ていることにならないでしょうか。

 これ以上破壊しないためになにかできることはないか。
 破壊された自然をもとに戻す方法はないか。

 そんなことを考えながら山に登らなければならない時期に来ているのではないでしようか。


(正編 ISBN4-947637-30-7 C0036 P1900E 1994,6リベルタ出版刊 1994,7,12読了)
(続編 ISBN4-947637-37-4 C0036 P1957E 1996,6リベルタ出版刊 1997,6,29読了)