天野礼子『萬サと長良川』

 長良川上流をテリトリーとしていた職漁師、古田萬吉の伝記。
 小説風に構成してあります。

 埼玉県荒川上流を漁場として活躍されていた職漁師からお話を伺ったことがあります(こちら参照)。
 かつては、日本全国にこのような職漁師がおり、淡水での漁撈文化・食文化が存在したものと思われます。

 琵琶湖をのぞけば淡水域における漁撈が職として成り立つ時代は、過去のものになってしまいました。
 その原因のひとつは、河川「改修」、水質汚染、山林の衰退に伴う水量の減少など、川をめぐる環境の激変でしょう。

 荒川水系の場合は、二瀬ダムの建設以降、急速に生息魚種が減少していったと、上記記事に登場する職漁師の方が言っておられました。
 河口堰ができるまで本流にダムのなかった長良川は、職漁師が存在できる、最後の川だったというわけです。

 職漁師が存在できなくなる状況のあとには、漁撈文化・食文化の急速な衰退が訪れます。

 つい先日(2006,4,6)、新潟県潟東村(現在新潟市)の歴史民俗資料館を訪れる機会がありました。
 そこには、干拓によって消滅した湖、鏡潟の写真や漁撈用具が展示されていました。
 鏡潟周辺に存在した生態系と、水域住民の生活がどのように結びついていたのか、あるいは漁撈にかかわるどのような民俗が存在したのか等について、詳細な説明がなかったのは残念でしたが、いくつかの展示物を見るだけでも、想像力をかき立てられました。

 独特の地理的・地形的・気候的特徴を持つ日本には、それぞれの地域に最も適した、ローインパクトな暮らし方があります。
 おそらくは江戸時代ころに完成したその暮らし方が、この国における、持続可能性の高い暮らし方であろうと思われます。

 淡水魚の漁撈文化も、そうした暮らし方の一環であったはず。
 であれば、日本が現在のような破滅的経済「発展」路線から持続可能性を最も重視する路線に転換した際には、必ず必要となってきます。(ちょっと強引すぎますか?)

 この本には、米一俵が八円のころに一匹五円の値のつくアユがあったという話が書いてあります。
 これを無茶だと考えますか?
 わたしはそう思いません。

(ISBN4-480-85505-X C0023 \1440E 1990,8 筑摩書房刊 2006,4, 読了)