樋口四郎『秩父谷の怒り』

 秩父事件の概略を描いた小説。
 コンパクトな本に秩父事件の全体像を描き込もうとしているので、小説としてはずいぶんラフな印象があります。

 中心的なテーマは田代栄助の人物像におかれているようです。

 秩父困民党総理田代栄助はいうまでもなく、秩父事件を理解する上で最重要人物です。
 歴史的に明らかになっている彼の転機が、いくつかあります。

 一つは、明治十七年初めにおける、自由党への入党。

 村上泰治宅を訪れて入党願を書いたことは田代自身が、尋問調書で語っているのですが、なぜ自由党に入ろうとしたかについては、不明です。

 二つ目に、田代が武装蜂起の目的をどのようにとらえていたかという問題。

 彼は蜂起直後に、測量士に対し「純然たる立憲政体を樹立する」と語っているが、困民党が武装蜂起という路線が確定させた10月中旬の時点でどのように考えていたかは、史料にあらわれていません。
 これは秩父郡制圧後、困民党軍をどこへ進撃させるかが議論された、郡役所本陣会議での彼の立場とリンクしてきます。

 三つ目に、十一月四日の皆野本陣解体の真相。

 本陣から離脱するに際し田代が「ああ残念」と述べた史実がありますから、彼がその時点で蜂起の目的を達したと考えていたわけでなかったことは、明らかです。
 だとすれば戦いの最高指導者として、その時点でなお数百人はいたと思われる参加者に何を求めたかったのか。

 田代にとって、刑死後の自己の評価は少なからず重要な問題であったはずなのですが、このことについて彼自身はなにも語っていません。

 以上の点について史実に基づきつつどれだけの想像力を発揮しうるかが、作家に求められるのだろうと思います。
 しかし残念ながら本書では、史料にある以上に鮮明な田代栄助像を描き出すことに成功したとは思えません。

 作品は本陣離脱の目的について、田代に「困民党軍の犠牲を少しでも減らす」ためだと語らせています。
 わたしもおそらくそれが史実に最も近いのではないかと思っています。

 しかしそれでは、何のための武装蜂起だったのか、わからなくなります。
 わたし自身は、これらについて今しばらく、未解決の問題として温めておこうと思っています。

 本書を通読して感じたことをあといくつか。

 登場人物が標準語で会話している点には、かなり違和感があります。
 その点だけでも、描かれた秩父事件像がどこか別の地方で起きた事件であるかのような印象を持ちます。

 あと、武士の血を引いているからしっかりしているとか、尊いなどという記述が散見される点も気になります。
 武士の血を引いているからしっかりしているということはあり得ないし、尊い武士というようなものも存在し得ません。
 彼らがさむらいの子孫であったとしても、その時代に「武士」などという身分は存在しませんでした。

(ISBN4-7974-8072-6 C0093 \1500E 2005,12 新風舎刊 2006,4,4 読了)