アナトリ=ブクレーエフ他『デス・ゾーン』

 J.クラカワーの『空へ』に対する、反論の書。
 エベレスト商業登山という情況の下で、高所登山ガイドが困難に際しどのように行動すべきかという、ひどく難しい問題が扱われています。

 両者の争点は、エベレスト登頂後、著者が顧客より先に下山したことの是非にあるようです。
 しかしそれは、かれらのプライドにとって大きな問題であるかもしれませんが、普遍的な問題ではありません。

 これらの書で提起されている根本的な問題は、"デス・ゾーン"であるエベレストへの商業登山がどうして成り立ちうるのかということだろうと思います。

 エベレストは、ある程度の訓練さえすれば誰でも行けるところではありません。
 しかしガイド業において、イニシアティブは買い手の側にあります。
 日本国内における登山においてもこの点は同じです。

 にもかかわらず、客の生命に責任を負うのが誰なのかは、明確でありません。
 現場は、自己責任という言葉にもっともふさわしい場所ですが、同行者に金銭を支払ってそこにいる者と、金銭を受け取ってそこにいる者が並んで立っているのです。

 金銭の代償として何が期待されているのかは、明確です。
 客は命を失うことなく、山頂に立つことを求めており、ガイドはその要求が満たされるべく努力することを求められています。

 しかし、命を失わないことと山頂に立つこととが両立できない可能性の高いのがヒマラヤなのです。
 それができるのは神でしかあり得ないにもかかわらず、金銭はガイドに神であることを要求します。

 冒険の世界に経済が入り込んでくるのもまた、グローバル化であるといえます。
 著者が旧ソ連(カザフスタン)人であることも象徴的です。

 「人は誰でも、自分で自分の生命に責任を持つべきだ」から、ガイドと呼ばれたくないという著者の言葉は正しいけれど、世界有数のクライマーとしての実力を持ちながら、押し寄せる資本主義経済に翻弄され、命を散らしたのは無惨だというほかはありません。

(ISBN4-04-791304-9 C0398 \1800E 1998,8 刊 角川書店 2006,2,26 読了)