勤労者山岳連盟編『垂直の星』

 登山家吉尾弘氏の遺稿集。


 登山家の遺稿集というと、勇ましく登攀したときの記録という印象がありますが、登攀記は本書の半分くらい。
 対談録や随筆でも随所に、山に向かう際にあるべき姿勢についての考察があります。
 登攀記も、山岳団体の指導者としての思いがあふれています。

 この本のそこここに見られる著者の言葉が頭にはいりやすいのは、働くものにとっての山登りという視点が一貫しているからでしょう。

 山登りは山登りであって、学生だろうが金持ちだろうが山登りには違いないのです。
 しかし、学生や金持ちの山登りと労働者の山登りはそれに至るプロセスが異なります。

 どのようにして山に行く時間や経費を作り出すのか。
 またどのようにしてトレーニングに費やす時間を作り出すのか。

 国内の岩場にせよヒマラヤのビッグルートにせよ、一つのルートをものにすることの価値は、そのプロセスを含めて論じられるべきと著者には考えられているようです。

 1970年代初頭に行われたヒマラヤにおけるビッグクライムの価値を、著者は全く否定されていません。
 しかし著者は、総隊長が自民党代議士だというだけで、どうも肌が合わないと言われます。

 そういう感覚に共感します。
 70歳を過ぎた共産党の委員長が南アルプスで遅くなって山小屋に到着し、宿泊を断られて黙って次の小屋に向かったという話をどこかで読みましたが、そういう登山にも共感します。

 わたしは無組織のハイカーですが、今後も自分なりに、山を歩くことの意味をこのサイトを通じて考えて続けていければと思っています。

(ISBN4-88023-347-1 C0075 \2190E 2001,9 刊 本の泉社 2006,1,3 読了)