香山リカ『いまどきの「常識」』

 たぶん1980年代半ばごろから日本の空気は少しずつ変わっていきました。

 国鉄で無体な人権侵害が行われていても、国民的な反撃は意外なほど少なかった。
 その原因が、車両を汚い落書きで埋めるという挑発的な闘争を行うかと思えば、民営化に際しては音なしの構えだった一部の組合にあるというのは一面の真実でしょうが、このころの日本人の人権感覚がやせ細っていたのが問題の本質的でした。

 権力者は、国民をだますことなど容易だと悟ったに相違ないでしょう。
 「日の丸」「君が代」への礼拝を強制しても良心の自由に反することにはならないなどという、どう考えても通らない理屈がまかり通るようになったのも、不思議なことではありません。

 そのこと自体は許し難く思いますが、ここはどうしてこんなことになってしまったのか、じっくり考えるべきでしょう。
 わたしは、戦後日本人の人権感覚が理念にとどまり、皮膚感覚のようなものにまで定着していなかったことが、原因なのではないかと思います。

 そんなことになった一因は学校教育にありますから、もちろんわたしもその責めを負わなければなりません。

 軽くて正体のつかめない、妖怪のようなナショナリズムが日本を覆いはじめたのは2000年前後からだと思います。
 インターネットが日本の右傾化に果たした役割には、甚大なものがあります。
 わたしなど、歴史の偽造は不可能だと思っていましたが、そんな楽観的な見通しなど、とんだおめでたい太平楽にほかならなかったのでした。

 著者は、そんな空気に危惧をもたれていますが、例えば土井たか子氏のような歯切れのよさはありません。

 事態はかなり深刻なのだと思います。

(ISBN4-00-430969-7 C0236 \70E 2005,9 刊 岩波新書 2005,1,2 読了)