不破哲三『私の戦後六十年』

 日本共産党幹部である著者が、回想を交えながら、戦前・戦後の日本の政治を批評した本。
 ときおり鼻につく紋切り型の語り口には違和感を禁じ得ませんが、

全体としてのびのびと、闊達に戦後の政治史を語っており、飽きずに一気に読み終えました。

 というのは、この本を読んだ日は、せっかく休める日であるにもかかわらず、台風の接近により遊びに行くことも、農作業もやれない日だったからです。
 従ってこの日は、終日活字を追っていたわけですが、一年に何日あるかわからない、活字漬けで過ごした、幸福な日であったというわけ。

 著者の分析力には定評がありますが、戦後政治の節目節目における諸事件への論及は本質的で、たいへんわかりやすく、胸に落ちる指摘が多い。

 米軍による核兵器の持ち込みを日本政府が見て見ぬふりをしてきた事実や、昨今の超低金利政策がアメリカ財政救済のために日本国民を犠牲にしたものだという指摘に接したのは初めてでしたので、なるほどそうであったかと感心させられました。

 この本を読んでいて、アメリカという国は、戦争を始めるときに必ず、開戦の口実になるような謀略的な事件を起こしてきたということがわかりました。
 それは、アメリカ政府自身による謀略である場合も、アメリカの情報機関によって泳がされた反対派もどきが事件を起こす場合もあり、多くは歴史の闇に葬られています。

 ちょっと興味深かったのは、著者が、田中角栄・大平正芳・福田赳夫ら1970年代の与党政治家に対して、比較的肯定的な印象を持っているらしい点です。
 彼らは、小泉首相や安倍某や石原都知事らのように不真面目な面々と比べれば、はるかに誠実な政治家たちだったのだろうと思われます。

 国民に対し平然とウソをつき始めたのは、「この顔がウソをつく顔に見えますか」といってウソをついた中曽根元首相あたりからではなかろうかと思います。

 この本を通じて、著者の分析に不満が残ったのは、日本列島改造論についての論評でした。
 列島改造計画の中に、必然的な部分があったのではないかとか、新潟において田中角栄がなぜ熱狂的に支持されているのかについて、さらに深い洞察が必要なのではないかと感じました。

 戦後の政治史に関し、これだけ全面的で分析的な回顧録の書ける政治家が、他にどれほど存在するのでしょうね。

(ISBN4-10-478301-3 C0095 \1700E 2005,8 刊 新潮社 2005,8,24 読了)

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