本田靖春『我、拗ね者として生涯を閉ず』

 580ページに及ぶ大著。
 フリーライター本田氏の自伝です。

 著者の作品はこれまで、『栄光の叛逆者 小西政継の軌跡』『K2に憑かれた男たち』『評伝 今西錦司』しか読んでいないのですから、著者が『読売新聞』社会部の敏腕記者だったことも知りませんでした。
 それどころか、上記3作品にふれた記述は、本書のどこにもありませんから、著者がなにゆえこれらの山岳書をものしたのか、まったくもって謎のままです。

 ライターは文字通り、文章を売る仕事ですから、著者にとって山岳関係の著述は、多分にエンターテイメント性のある仕事だったのでしょうか。
 冒頭には、著者のデビュー作が『諸君!』に連載された「共産府政二十年 京都に何が起っているか」だったと記されています。

 これだけの筆力を持った著者が、おそらく現実に存在したであろう、1972年当時の蜷川府政の澱んだ部分を暴けば、府政に致命傷を与えるのは必至だったでしょう。
 なるほどなぁ、という思いで読みました。

 この本の全体を一貫しているのは、取材対象に対する際の「由緒正しい貧乏人」としての視点であり、社会部記者としての仕事の仕方です。

 百の能書きを語るより、役に立つ一の実践を良しとする視点は、ややもすると理想を語るなという偽プラグマティズムに流れるおそれがありますが、たとえば政治の世界においてはとても大切なことだと思います。

 新聞記者とはどのような仕事か、じつはほとんど知らないのですが、言論を背負って立つという強い自負に裏打ちされた、高度に職人気質な仕事とみえます。
 この本を若いころに読んだら、新聞記者にひどくあこがれたでしょう。

 もっともネットで読む限り、現今の新聞には当局による発表記事が多いような気がします。

 わたしの仕事に通じるエピソードも多々あります。
 ルーティンワークに没頭していると、仕事の意味や目的が見えなくなることがしばしばあります。
 それぞれの仕事において、基本とは何であるのか、ときに現場の外に視点を置いて眺めてみることが大切だと思います。

(ISBN4-06-212593-5 C0095 \2500E 2005,2 講談社 2005,5,2 読了)