江井秀雄『自由民権に輝いた青春』

 五日市憲法草案の起草者、千葉卓三郎の評伝。
 昨年共著で出した『秩父事件−圧制ヲ変ジテ自由ノ世界ヲ』と同様、ですます体で書かれています。

 わたしはたいへん書きづらかったのですが、このような文体が流行しているのでしょうか。

 政治に国民の声が反映しづらくなったのは、細川内閣時に小選挙区制が強行導入されたころからだと思います。
 もちろん、小選挙区制だけが政治が堕落した元凶だというわけではなくて、そのほかにもさまざまな要素が、国民から政治を縁遠いものにさせています。

 自由民権期は、日本の歴史の中でもっとも感動的な時代の一つです。
 近年、この時代を学ぼうとする学生が非常に少ないということを聞きますが、残念なことです。

 戦後、民衆の歴史がクローズアップされた時期が、何度かありました。
 1950年代半ばの国民的歴史学運動の時代、1960年代末の明治百年との対決の時代、1970年代から80年代にかけての民衆史掘り起こしから自由民権百年運動の時代がそれにあたります。

 1990年代以降、読売新聞・産経新聞など体制マスコミと連携した御用デマゴーグが多数出現し、民衆の歴史に対し激しいイデオロギー攻撃を行いました。
 攻撃の重点は主として、侵略戦争や植民地支配の歴史の改竄や否定におかれましたが、秩父事件など国内の民衆運動史の否定ないし過小評価も、かれらの思考の基本パターンでした。

 不況と労働の苛酷化という情況の下で、国民の関心が、よりよい国づくりとか基本的人権の拡大などというところから、当面のジョブの確保とか自分の将来の安定といったことに収束していったことも、デマゴーグに活躍の余地を与えたと思われます。

 こうした流れの集大成として今、日本国憲法が改悪されようとしています。
 にもかかわらず、国民の側としては、仕事が忙しくて憲法どころではないというのが正直なところでしょう。

 色川大吉氏が『明治の文化』や『明治精神史』で五日市の民権運動や千葉卓三郎を描いて以来30年余が経過しましたが、この本のおかげで卓三郎の生涯を俯瞰することができました。

 本書のタイトルにあるとおり、五日市憲法草案起草当時の千葉卓三郎は20代後半でした。秩父事件の幹部たちもほぼ同世代といえます。
 五日市という一地域で、このような若い人々が真剣に議論し、心血を注いで現憲法にさえ劣らぬ水準の私擬憲法を作り上げた背景に、どのような時代情況があったのか。

 個や人権などは、近代によってもたらされた普遍的な価値です。
 現在、体制側が用意しようとしている改憲案に普遍的な価値がどれだけ盛り込まれているでしょうか。

 このような情況をもたらした原因の一つは、国民の側がさらなる憲法改正を提起してこなかったことにもあると思われます。

 千葉卓三郎たちは、国家より個人の方が普遍的だということをとっくに見抜いていたのでした。
 情報の海でおぼれかけている若い人々、仕事に追われ、つかの間の楽しみしか求めていないかに見える人々には無縁でしょうが、わたしにとって、卓三郎の人生はみごとに輝いて見えています。

(ISBN4-87648-170-9 C0336 \2400E 2002,3 草の根出版会 2005,4,6 読了)