天木直人『さらば外務省!』

 ついに自衛隊がイラクに派兵されてしまいました。
 憲法第9条の空洞化や人権軽視など、さまざまな危惧がある中、政府はきちんとした説明責任を果たさないまま、国民を戦争へといざなおうとしています。


 世界の現実と国民の意志に反して戦争へと向かいつつある日本の抱える問題は多々あると思われます。
 もちろんわれわれの足元にも問題が山積していますが、国のシステムもひどく病んでいます。

 前レバノン大使が書いた日本外交の現実も、惨憺たるものです。
 この本のかなりの部分は、キャリア官僚の多くがどのように「仕事」をしているかということの告発にあてられています。

 今まで埼玉県の教育官僚の「仕事」を見てきたので、外務官僚の「仕事」ぶりのひどさについては、だいたい予想の範囲内でした。
 ひとことで言えば、この人たちは、自分がおおやけのために働いているとは思っていなくて、代官のように人民支配を担当していると認識しています。

 こういう意識をどうやったら変えることができるのか、私にはさっぱりわかりませんが、対症療法的にはおおやけのための使命感を持つ優秀な上司によるしっかりした教育くらいかな。
 制度的にはやはり、徹底した情報公開と国民による情報アクセス権の保障を実現するしかないでしょう。
 それより、この本を読んでいてまずいな〜と思ったのは、日本の外交が正常に機能しないところまで制度疲労しているということが指摘されていた点です。

 筆者は、対外公館と本省の重要な任務は、情報収集活動とその活用だと述べています。
 ところが、仕事の主力を担う中堅官僚たちが、当該国の外交の本質とその動向をいかに深く洞察し、日本国民の安全に役立てるかということをなおざりにして、政治家の尻拭いに忙殺されたり、報告をゆがめることもあるということです。

 いずれが真に日本のためになるかという観点で仕事をするのではなく、小泉首相や安倍自民党幹事長たちのような不勉強な詭弁家たちの顔色を見ながら、彼らが喜ぶようなレポートを書くのが仕事になってしまっては、むなしい限りではないですか。
 しかも彼らは日々、膨大な公費を遣っているのです。

 一公務員として体感的な印象かもしれませんが、トップダウンによって政策が決定されるが多くなってきています。
 すくなくとも、現場の多様な意見をなるべく拒否してものごとが決定されるケースが増えています。

 トップがしっかりした見識のもとに判断する能力のある人材であれば問題はないかもしれませんが、そんなケースはめったにありません。
 それどころか、トップは実質的な立案や判断を幹部に丸投げし、幹部は責任をトップに丸投げしているのが実態です。
 もっとも教育行政の場合、立案・判断ミスがあったとしても、目に見える形で重大な結果がもたらされることは少ないので、誰も責任をとらず、親や教師のせいにしてすますことが多いようです。

 日本の行政システムの硬直化は、外務省の中堅にまで及んでいることを知らされたわけです。
 ホントに困ったものです。

(ISBN4-06-212109-3 C0095 P1500E 2003,10 講談社刊 2004,1,7 読了)