松下竜一『狼煙を見よ』

 1960年代後半は、当時の若い世代にとって、本質的な問い返しの時代であったと思われます。
 わたしが、多少なりとも意識を持って生き始めた1970年代はじめころは、60年代のかすかな残り香に接することができたように思います。


 政治や社会や秩序をめぐるラディカルな問いを圧殺したのは、国家権力であったのか、それとも、中流生活を夢想して毎日を働き暮らしていた日本人の日常生活であったのか。
 ともかく、変革をめざした巨大なエネルギーは圧殺され、内部で火花を散らしながら収束していったのでした。

 この本に描かれている、「東アジア反日武装戦線"狼"部隊」も、その思想性を問われることなく、死者8名、300余名の重軽傷者を出した無差別テロを実行した集団として、歴史に名を残しています。
 この本は、「"狼"部隊」の思想を明らかにしようとしています。

 テロに思想はあるかといわれれば、もちろん「ある」と答えねばなりません。
 テロを肯定するかどうかという問題と、テロの思想性の問題とは、別だからです。

 パレスチナでは、今なお、イスラエル市民に対する自爆テロが敢行され、イスラエル軍による無差別報復との悪循環はいつ果てるとも、見通しはありません。
 イスラエルとアメリカが「悪の枢軸」であることは、もはや隠しようもない事実だと思いますが、どうすればこの2国に、シオニズムと覇権主義の愚かさを教えうるのか。
 そのための自爆テロはあまりに大きすぎる犠牲を伴うとわたしは思いますが、他に思わしい方法は見あたりません。

 「"狼"部隊」は、戦前〜戦後を通じてアジアを軍事的・経済的に侵略し、搾取する立場にあった日本の大企業に爆弾テロを加えることによって、日本人全体に侵略者としての自覚と反省を促すことを意図していたと思われます。

 爆弾テロは、彼らの意図に反して、多数の罪もない一般人を殺傷する結果となりました。
 死刑判決の確定した大道寺将司氏はじめ、実行メンバーはその結果を背負っていかねばなりません。

 しかし、彼らの意図した日本のあり方への警鐘は、必ずしもすべて間違いではなかったはず。
 「国際貢献」という空疎な名目の下に、自衛隊がアメリカ覇権主義の先兵としてイラクで人を殺すかもしれない情況や、(わたしも含めて)太平楽をきめこんでいる日本人の実態は、あまりにも痛憤すべき現状といわねばなりません。

(ISBN4-309-00458-X C0095 P1380E 1997,1 河出書房新社刊 2003,10,12 読了)