朝日新聞岐阜支局編『浮いてまう徳山村』

 『僕の村の宝物』の徳山村の、ダムをめぐる人間模様を描いたルポ作品。


 戦争現場の人間を描くのがほとんど不可能であるのと同様、ダム建設をめぐる人間関係を描くのは、とてもむずかしいというか、ほぼ不可能だと思います。
 それは、人それぞれの打算や人間性や駆け引きを白日の下にさらす作業であるからです。

 ダム建設を前にしたとき、それさえなければ、なんの波風立てることもなく、ごく当たり前のように助け合いながら暮らしていた人びとのつながりや暮らしがずたずたにされ、得るものもなく、お互い疲れ果てるしかない自己主張が延々と続けられます。

 全国のダム建設現場で展開された、ダムの是非をめぐる水没地区内の相克模様を読んでいると、戦争の現場で、何の恩讐もない他人どうしが、あらゆる力や奸計を弄して、お互いを傷つけあうのに似た、人生の浪費と徒労感を感じます。
 取材する方もされる方も、おそらくはむなしさを禁じ得なかったであろうことが、行間から読みとれてしまいます。

 しかし、どこのダム計画地でも、反対派も条件派(?)のいずれも、村を湖水に沈めたくはないのです。
 元村長が、「ここに住んでる者で、本当に村に残りたいなんて考えてる人はいない」と語っています。 むなしいことばです。

 ダムに沈まなくても、村では生きていけないような構造を改めなければ、日本はどこまでも自滅に向かって突き進んで行くしかないのでしょう。

 報道ルポには、取材源との関係上、思う通りを書けない部分もあるかと思います。
 徳山村のことについては、もう少し勉強してみようと思います。

(1986,5 ブックショップマイタウン刊 2003,2,19 読了)