鹿野政直『日本の近代思想』

 近代日本の思想的なエポックを、9つの問題群に分けて、概説してあります。
 1項目3〜4ページほどにまとめられていますが、各項目が、研究書1冊分にも匹敵する内容に凝縮されていますので、本から受け取る知的緊張と刺激は、たいへん重いものがありました。

 これが大学の講義であれば、どんなにか緊張して、必死でノートをとりながら1時間30分を過ごしたことかと、(かつて不肖の学生だったわたしは)思ってしまいます。

 20世紀と呼ばれた100年の間、日本人は、普遍的な価値について、どれほどのことを思索してきたのか。
 人が生きることの意味について、どれほど、説得力のある論理を生みだすことができたか。
 思想とは、そういうものだろうと思います。

 封建遺制の克服、平和と平等の実現といったあたりが、20世紀の主要なテーマだったわけですが、刻々と展開し来る未知の事態に対し、時代遅れの思考で不十分な分析をおこない、的はずれな対応をしたにすぎなかったのではないかという思いもあります。

 千数百年以上も前の思索の結果であるいくつかの宗教と近代思想とをくらべて、普遍的な有効性という点で、いずれがまさっているかといえば、結局のところ、歴史の古い宗教の方に、よほど多くの真理が含まれているといわざるを得ません。

 最近、教材化のため、ジョン=サマヴィル『人類危機の十三日間』(岩波新書)を、久しぶりに読み直しました。
 この戯曲の中で、サマヴィルは、核戦争の開始を目前にしたアメリカ大統領(J=ケネディ)に、「われわれの持っているものは、まだ古い責任感と、昔ながらの敵観念だけなんです。新しいのは兵器だけで、しかもそれを敵も同様に持っているということになれば、ほかにどんなやり方があります?」と、言わせています。
 これは、踏めば落ちるかもしれない橋を、みんなで渡っちゃおうということです。
 なんとも危ない話です。

 しかし、人類の知恵の到達点がその程度だということを、われわれはどこまで自覚しているのでしょう。

 20世紀が突きつけた諸問題に、われわれは、何一つとして、まともな解決策を持ち得ていないではありませんか。
 いまの人間が21世紀を生きる現実を見ていると、1年生の勉強を消化しないままに、2年生に進む危うさを、わたしは感じます。

 社会と人間に関するあらゆる問題を論じておられる感のある著者ですが、自然環境をめぐる問題を論じておられないなぁと思いました。
 沖縄を論じておられるけれど、アイヌは論じておられないと思いました。
 たぶん、紙幅の関係で略されたのだろうと思いますが、生態系と人間というのは、21世紀を生きる上で、もっとも大きなテーマとなっていくだろうと思います。
 ここから先は、わたしなどが、伝えて行くべきことなのでしょう。

(ISBN4-00-430767-8 C0221 \780E 2002,1 岩波新書 2002,3,6 読了)