盛口満『ドングリの謎』

 『冬虫夏草を探しに行こう』と同じ著者の本です。

 2001年秋にはじめて、お台場なるところに行きました。
 わたしは、そこが日本のどこにあるのかさえ、知らなかったのですが、紅葉の美しい秩父の里から、はるばるお台場に出かけたのは、そこが、勤務している学校の遠足の目的地だったからです。

 子どもたちは三々五々、いろんな施設を見学したり、ショッピングを楽しんだりしていました。
 遠浅の海があったので、釣りができないこともない感じでしたが、釣り人は一人も見かけませんでした。
 わたしも釣り道具を持っていかなかったので、竿を出したりしませんでした。

 波打ち際には、ユリカモメらしき鳥が、遊んでいました。
 ユリカモメといえば、わたしは、京都の加茂川で群れていたり、岩手の気仙川でヤマメ釣りをしたとき、頭上を行ったり来たりしていたのを思い出してしまいます。
 そういえば、海でこの鳥を見たのは、初めてだったかもしれません。

 砂浜が切れるあたりに、マテバシイの林がありました。
 植栽されたものなのか、それとも自然林なのか、わかりません。
 弁当を食べてから、何かきのこが出てないと思って、この林を歩いてみました。

 どういうわけか、お台場には、たくさんの野良ネコがいました。
 彼らはどうも、お台場を訪れる観光客の与える餌で、生活しているようすでした。

 きのこは出ていませんでしたが、マテバシイのドングリがたくさん落ちていました。
 とりあえず、得るものがあってよかったと思い、わたしはマテバシイの実を拾いました。
 何匹かのネコが集まってきて、わたしのようすを、興味ありげに、観察していました。
 人間が熱心に拾うくらいのものだから、とてもおいしいものにちがいない、と思っていたのでしょう。

 しかし、わたしがドングリを拾っているのだとわかると、ネコたちはみんなどこかに去ってしまいました。
 この日、まあまあの収穫をザックに入れて、わたしは秩父に帰りました。

 拾ったマテバシイのドングリは、クッキーにしてみました。
 わたしはお菓子作りにはあまり詳しくないので、クッキーミックスを使います。

 マテバシイの実は、たいへん硬いので、指でつぶそうとしても、なかなかつぶれません。
 わたしの場合は、ナットロッカーを使って殻にひびを入れ、それから割りました。
 渋皮がついていますが、渋皮のままフライパンで炒ると、渋皮がとれやすくなります。
 炒りたての、熱いマテバシイは、とても香ばしくて、おいしいものです。

 これを練ったクッキーミックスに入れて、電子レンジで焼きます。
 焼きたては、なかなかおいしいですが、さめると、ドングリが硬くなって、ひどくまずくなりました。

 こんなことをした直後に、書店でこの本を見かけました。
 サブタイトルに、「拾って、食べて、考えた」とありました。
 わたしは、拾って食べただけなので、ちょっと怯みましたが、本を読んでから考えても遅くないと思ったので、この本を買ったのです。

 はじめの方で、ドングリとは何かが、論じられています。
 ドングリは種子か果実か。ドングリのハカマは、なんなのか。等々。
 ここで少し、頭を柔らかくすることができます。

 各種ドングリに含まれるタンニン(渋)がどういう意味を持っているのかについての考察は、とても興味深い。
 タンニンの多いコナラのドングリを食べてみたことがありますが、渋くて、とても食えたものではありませんでした。
 しかし、国や地方によっては、あく抜きをして、これを食べるところもあるというので、驚きます。

 私の住む埼玉県秩父地方は、縄文時代遺跡の多いところです。
 荒川に面した台地上は、至るところが縄文遺跡といっていいくらいです。
 彼ら、秩父原住民にとって、ブナ科の木の実は、重要な食糧であったはず。

 秩父原住民は、コナラを食べていたのか、それともカシ類の実を食べていたのか。
 ひと昔前の秩父の里山は、コナラ・クリ・クヌギの多い雑木林でしたが、その原風景は、シラカシやアラカシなどの照葉樹林だったのではないかと思われます。

 照葉樹の里山、ブナやツガをはじめ、多様な樹種が織りなした奥山、コメツガやシラビソの高山が、秩父連山のもともとの姿を構成していたのではないか。
 それを人間は、どのように改変してきたのでしょう。
 興味は尽きません。

(ISBN4-88622-315-X C0040 \1500E 2001,8 どうぶつ社刊 2002,1,17 読了)