豊田和弘『ひとりぼっちの叛乱』

 リゾート法が制定され、不動産・土建業者が日本を荒らし回っていた時代に、巻機山麓の清水集落でどのようなことが起きていたかを記した本。

 秩父地方では当時、秩父郡市域のほぼ全体がリゾート法の地域指定を受け、大々的な「開発」計画がぶち上げられていました。

 秩父の「開発」の中核となったのは、西武鉄道で埼玉県や秩父市などの自治体も、第三セクターという形でこれに参加していました。
 埼玉県は、道路をはじめとするリゾート施設のインフラ整備を担当していました。

 秩父リゾートは、壮大な計画にもかかわらず、バブルの崩壊とともに一瞬にして消滅したかに見えます。
 和名倉山にロープウェーをかけてスキー場をつくるとか、長尾根丘陵に人口スキー場を作るなどのあり得ない机上の空論が、分厚いパンフレットの形で、役場に置いてあったりしたものでした。
 建設されたのは、西武が経営するゴルフ場、西武が経営するテニスコート、西武が経営するスケート場とプール、西武が経営するコテージ群、埼玉県が建設した野外音楽堂などでした。

 これらのうち、西武の諸施設へは税金で造られた立派な道路が当初から通じていましたが、県の施設へは細い林道程度の道路で行かなければならなかったものでした。
 西武の最寄り駅からリゾート施設へのバス路線には停留所がなく、住民は利用できませんでした(現在は道路改修がされバスも利用できる)。

 この時代に大きく変貌したのは、長尾根地区と皆野町日野沢地区だと思います。
 日野沢の場合は、大規模なリゾート施設は建設されていませんが、小規模な別荘地があちこちに造成されています。
 なかには、使われないまま廃屋になったらしい建物も数多く見られます。

 秩父リゾートは結局、公費を無駄にした上、多大な傷跡を残して終わったと言えます。

 ではなぜこのようなことが起きたのか。
 問題の背景は、巻機山の場合と酷似しているように思います。

 山村は会社への通勤に不利だし、農林業をはじめとする在来産業は壊滅状態なので、豊かな消費生活を送れるような収入を得ることはできません。

 豊かな消費とはどのようなレベルを言うのか、何とも言えないところです。
 性能のよい新しいデジカメがほしい、なんていうのはぜいたくというべきなのか。
 多分そうではないと思いますが。

 山里でどのように生きるかではなく、故郷である山里をどれだけ高く売り抜けるかという発想になったときに、心の荒廃が生じるのは当然でしょう。
 そうなればもはや、対話によって一致点を見いだすことは不可能であり、話し合いは成立しません。 ダムにねらわれた村もしかり。

 共同体であった村の中で話し合いが成立しないとなれば、清水で起きたように「村八分」が始まってもおかしくありません。

 バブル経済は人為的な金余り状態によって引き起こされました。
 当時のリゾートブームは、取り返しのつかない人心並びに環境破壊をもたらしましたが、日本人がそこから何かを学んだとは思えません。

 不動産バブルが霧散したあとも、形を変えた株式バブル状態は続いています。
 それどころか、「勝ち組」「負け組」などという下司な言葉を政治や経済の指導者たちが口にして恥じない始末。

 財政破綻や不良債務・債権を発生させた責任をほおかむりする一方で、効率化の名の下に地域と弱者を切り捨てる政治と企業。

 目先の利益を得るためには、法律に触れさえしなければ何をしてもよいというような感覚は倫理破綻にほかならないという認識が社会的に共有され、道徳の最高理念が社会の永続という点に置かれるような国にならなければ、見通しは暗いといわざるを得ません。

(ISBN4-635-17097-7 C0075 \1600E 1996,10 刊 山と渓谷社 2006,4,4 読了)