稲刈りの終わった田んぼ
野手上山の雑木林
野手上山案内板
クリタケ豊かな雑木林
二つ玉低気圧のおかげで、乾いた畑には慈雨とも言える、しっかりした雨になった。
玉レタスの小苗を植えつけ。
『飯舘村は負けない』の読書ノートを追加。
福島第一原発から30キロメートルほども離れた飯舘村は、風向きの関係で、大量の放射能に覆われてしまった。
村や住民は、今後どうするかが問われているが、それ以上に、政府や「国民」がどうすべきかが、問われている。
飯舘村の子育て世代は、被曝しながら子どもを育てることはできないから、村とは別の場所で暮らす方途を探るべきで、政府はそのための財政支援を行うべきと考えている。
村長をはじめ、もう少し上の世代は、徹底した除染により、3.11以前の村を復活させたいと考えている。
いずれも、もっともであり、切実だ。
除染には多額の経費がかかる。
しかも3.11以前の状態に戻すには、住宅区域だけの除染ではほとんど意味がなく、山林すべての除染から始める徹底した除染が必要である。
住宅区域だけの除染にさえ、一戸あたり5000万円の費用がかかるというから、徹底した除染には一戸あたり数百億円からの費用がかかるだろう。
だから、村民が非汚染地域に転居する費用を全額補償したほうが、はるかに安価にすむのが現実なのである。
しかし、そんな「現実」論は受け入れられない。
人には、自分たちが暮らしてきた地域で暮らす権利がある。
そこで暮らせなくなったのは、住民の責任ではなく、毒物をまき散らした東電の責任であり、それを後押ししてきた政府の責任である。
除染すれば、元通りの暮らしが可能なのだから、いくらカネがかかろうが、除染すべきだ。
膨大な費用がかかるというが、それは原子力発電のコストなのである。
「日本」には、人口密集地に原発を作ってはいけないという法律がある。
事故が起きることを前提に原発を作るのは、リスクマネージメントとして至極正当であり、事故は決して「想定外」だったわけではない。
事故が起きる可能性が考慮されていたのだから、本来であれば、政府は原発事故対策費用を積み立てておくべきだったし、東電も、事故の際の保障費用を電力使用料に上乗せしておくべきだったのであり、今になって「カネがない」という話は無責任だ。
カネがないから出せませんという論理は、通らない。
政府は、除染以外の予算執行を一時的に停止するか、公務員の給与を半減させるなり一時停止するなりして、経費を捻出すべきである。
また東電の株主は、原発によって不労所得を得てきた共犯者だから、所有する株式を全て処分するのはもちろん、過去に得てきた配当所得すべてを返還して、除染経費にあてるべきである。
事故の際の保障費用は発電コストに含まれるという考え方からすれば、現状の電力使用料は安価すぎるのであり、安価な電気代に安んじてきた電力消費者も責任を負わねばならない。
政府や東電が負担しきれない費用はすべて、電力使用料に上乗せするのは当然であり、電気代は、現在の10倍に値上げしても安すぎると考えなければならない。
ずいぶん多くを考えさせられた本だったし、美しい雑木林の花塚山・佐須山・野手上山にまた出かけたいという思いが強くなった。
写真は、飯舘村の風景。
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