原発

山津見神社

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飯舘村山津見神社

1999.12.11


 下の記事の関連でひとこと。

 虎捕山(佐須山)の登山口は、飯舘村の山津見神社である。
 神社の由来には源頼義伝説があって、あまりぱっとしない。(詳しくは上のリンク参照)。

 しかし、サス山という山名は、焼き畑を連想させるし、狼をご眷属とするところからも、一帯が焼き畑農耕の地だったことが、うかがえる。
 ここは、秩父郡大滝村とよく似た、山岳地帯の村だったのである。

 14年前の暮れにここを訪れたとき、境内には、「山の恵みに生きる人々の守護神」という大看板が立てられていた。
 それを見ただけで、感動してしまったものだった。

 佐須山は、福島第一原発からかなり離れているのだが、水素爆発が起きた日の風が、放射性物質をここに運んだ結果、福島県内最悪の空間線量を記録するに至ったのである。

 山津見神社の社殿は、今年(2013年)春に、火事によって消失した。
 「山の恵みに生きる人々の守護神」がどうして、放射能によって汚染されたり、消失の憂き目を見なければならないのか。

 誰か、説明してくれないか。

福島県山岳線量

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偽造を許すな

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 馬淵澄夫氏(元・原発事故担当首相補佐官)が重大なことを言っている。

  実は今もって、地震で原発に問題が起きたかどうかの確認は取れていないんです。安倍首相が東京電力福島第一原発の5、6号基の廃炉を決定したことによって、原発関係者が胸をなで下ろしているという連絡が、私のところに来ました。なぜか。5号基、6号基の廃炉が決定すれば、IAEA(国際原子力機関)を含めさまざまな調査が行われない。あの福島第一原発の事故は本当に地震によって誘発されたのか。日本政府はすべて津波によるものだと決めています。しかし、まだ事故原因の特定は全くされていないはずです。

 私は繰り返し、地震による可能性があるのではないかと首相補佐官就任直後から言い続けましたが、黙殺されました。地震によるものだという調査結果が出て基準地震動の見直しを図ったとすれば何が起こるか。日本の原発54基すべて動かなくなる。そのことを避けたいのは原子力関係者の中では根強く残っているのではないか。(都内での集会で)

 日本列島に人間が住めなくなる危険性より、目の前のカネが欲しくて仕方がない亡者たちによって、フクイチ事故原因の隠蔽と偽造が始まっている。

 いくつかの文献を見る限り、フクイチ事故の原因が巨大津波だけでなく、巨大地震と巨大津波の両方が冷却不能という破滅的事態を惹起したのは間違いなさそうである。
 だが、もしそれが正しいとなると、どんなに頭の悪い人が考えても、この地震列島で原発を動かすのは、自殺行為に等しい愚行だとなる。

 推進派にとって、原発を今後も動かすには、何が何でも、フクイチは津波のみによって壊れたと結論づけねばならない。

 壊れた原子炉にはこの先ずっと、人間が立ち入ることはできないだろう。
 だから、事故原因の科学的分析がされるのは、はるか未来のことにならざるを得ない。

 だからとりあえず、原発を止めようというのがマトモな感覚だが、事故の原因はたぶん巨大津波だけなんだろうから、津波対策だけやればたぶん大丈夫だから規制委員会に安全宣言出させれば自分たちの責任じゃなくなるから、原発動かしてもいいんじゃね、という流れにしたいのだと思われる。

 フクイチ事故の原因追究なんかほどほどにして、早く原発動かさないと、電気代が上がって経済成長の妨げになるじゃんみたいな雰囲気には、竿をささねばならない。

 馬淵さんはもっと大きな声でこれを言うべきである。

腐ってる

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 平沢勝栄という人にいたっては、「なぜ五輪招致前に発覚したのか」と五輪招致への影響を懸念しているらしい。
 要するに、バレなきゃよかったのに、ということである。

 笹川博義という人は、、「最終的に汚染水は(海に)どう放出するかタイムスケジュールを示すべきだ」と言ってるし。

 要するに、「海に流しちゃえば、薄まっちゃうんじゃね?」ということである。

あて外れ

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 しらばっくれていればどうにかなるというのは、「日本」国内でしか通用しないことに、今さら気づいたのか。
 8月30日付の朝日新聞デジタルは、こう伝えていた。

東京電力福島第一原発の放射能汚染水漏れをめぐり、衆院経済産業委員会の閉会中審査が30日、9月中旬以降に先送りとなった。経産省が来週中に打ち出す汚染水対策を見極めてから、審議日程を再調整する。9月7日の国際オリンピック委員会(IOC)総会前に、委員会審議が紛糾すれば、2020年の東京五輪招致に影響しかねないとの判断も働いた。

 政府にとって、汚染水問題は、しょせん「寝た子」にすぎない。
 国内でもめてなければ、外国のオリンピック関係者なんかが汚染水問題を心配するはずがないと思っていたんだろう。
 福島・茨城の漁業が壊滅しようが、「国民」には他人ごとなのだろうか。

 地下貯水槽からの水漏れが発覚したのが4月。タンクに穴があいてるのが発覚したのは6月上旬。
 いままでずっと、対策を検討していたわけだが、それって、ほとんどやる気がないと同じではないのか。

 「とりあえずほっとくしかねえだろ」「海に漏れたって薄まっちゃうんだからいいんじゃね?」と思っているとしか、見えない。

腐った言葉

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 「日本」でオリンピックをやるかやらないかは大きな問題ではないと思うのだが、招致委員会の理事長という人物の言ってることを聞くと、この委員会とは、モノゴトを何も知らない人々の集まりなんだと思ってしまう。(「朝日新聞デジタル」より)

 4日、東京招致委が現地で初めて開いた記者会見。海外記者から事故への質問が相次ぎ、竹田恒和理事長は「現在の東京は完全に安全」「福島と東京は250キロ離れている」「東京圏には問題があった人間はいない」などと答えた。

 列島に、放射性物質に汚染されてないところはない。
 それにしても、「福島と東京は250キロ離れている」などという腐った言葉が出てくる人間の脳みそは、どうなっているのか。

何が無尽蔵か

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 フクイチ事故によって汚染された地域の再除染について、「作業しても放射線量が下がらなければ、やっても無駄だから、もうやらない」というふうに読めないこともないのだが、いくらなんでも、そんな馬鹿なことを政府が言うはずがないと書いたのだが、そんな馬鹿なことを政府は、本気で言っているらしい。

 朝日新聞デジタルは、「復興庁の責任者の秀田智彦統括官付参事官は取材に「無尽蔵に予算があれば納得してもらうまで除染できるが、とてもやりきれない。希望者には線量計で一人ひとり判断してもらうという提案が(政府側から)あった」と述べた」と伝えている。

 どれほど腐った口があれば、「無尽蔵に予算があれば納得してもらうまで除染できるが」などという、理不尽な言葉が吐けるのだろう。

 他人の家を住めなくしておいて、「カネがないから知らん」という話が、通っていいはずがない。
 これは絶対に認めてはいけない。

 カネをいくら使ってでも、除染しなければならない。
 そのためのカネは、原発で作った電気を無尽蔵に使って、罰当たりな暮らしを続けている「日本人」が払わねばならない。
 あたりまえではないか。

 朝日新聞デジタルは、「福島第一原発事故後の除染について、政府が自治体に対し、今年度の計画達成は難しいことや、作業しても放射線量が下がらない場所の再除染を認めない考えを非公式に伝えていたことが分かった」と伝えている。

 「作業しても放射線量が下がらない場所の再除染を認めない」とは、どういう意味だろう。
 「作業しても放射線量が下がらなければ、やっても無駄だから、もうやらない」というふうに読めないこともないのだが、いくらなんでも、そんな馬鹿なことを政府が言うはずがない。

 フクイチ事故により放射能汚染された地域は、人家周辺だけでなく、田畑・森林を含め、完全に除染されるまで、カネを投入しなければならない。
 当然ではないか。

 東京電力(とその株主)は、原発によってカネを儲けてきた。
 東電発足以来、役員・社員に支払われてきた全報酬および、今まで株主に支払われてきた全配当を、遡って返上させてでも、除染すべきである。

 原発を後押ししてきた官僚と政治家も同じである。

 原発で作られた電気を脳天気に費消してきた、われわれ「日本」国民もまた、同罪だ。
 除染のために使われる税がどれほどであろうとも、文句をいえる筋合いではない。

 失われた命は帰らないが、汚染された地域は、消えてしまったわけではない。
 汚された地域を復活させるのに、責任のある者たちが責めを果たすのは、当然ではないか。

 雨がまだ、残っていたので、畑に出ることもできず、午前中は本を読んで過ごした。
 『戦艦大和ノ最期』は、大和搭乗員による戦記である。

 ここでも、いとも安易に、「特攻作戦」が立案され、実行された。
 多くの若い人々が、散らさなくてもよい生命を散らした。
 作戦立案に携わった誰も責任をとらず、亡くなった人々は「神」に祀りあげられた。

 「国」を守るためだった、といえば、散らした命は慰められるのかもしれない。
 しかしその生命は、「国」を守るのに、どれほど役立っただろうか。

 この本に、このようなくだりが、あった。

 救助艇忽チニ漂流者ヲ満載、ナオモ追加スル一方ニテ、危険状態ニ陥ル、更ニ収拾セバ転覆避ケ難ク、全員空シク海ノ藻屑トナラン
 シカモ船ベリニカカル手ハイヨイヨ多ク、ソノ力(ちから)激シク、挺ノ傾斜、放置ヲ許サザル状況ニ至ル
 ココニ挺指揮オヨビ乗組下士官、用意ノ日本刀ノ鞘ヲ払イ、犇(ひし)メク腕ヲ、手首ヨリバッサ、バッサト斬リ捨テ、マタハ足蹴ニカケテ突キ落トス

 轟沈し、大爆発した大和から投げ出され、かろうじて生きていた兵士たちは、駆逐艦初霜の救助艇に殺到したのだが、救助艇にかけた腕を、帝国海軍の下士官によって日本刀で切り落とされ、あるいは船べりにかけたその指を踏みにじられて、海に沈んだのである。
 失われた彼らの命は、国を守るのに、どう役だったというのか。

 大和の特攻作戦(天一号作戦)を立案し、決定してきた者たちの責任は、まったく問われずじまいだった。

稲刈りの終わった田んぼ


野手上山の雑木林


野手上山案内板


クリタケ豊かな雑木林


 二つ玉低気圧のおかげで、乾いた畑には慈雨とも言える、しっかりした雨になった。

 玉レタスの小苗を植えつけ。

 『飯舘村は負けない』の読書ノートを追加。

 福島第一原発から30キロメートルほども離れた飯舘村は、風向きの関係で、大量の放射能に覆われてしまった。
 村や住民は、今後どうするかが問われているが、それ以上に、政府や「国民」がどうすべきかが、問われている。

 飯舘村の子育て世代は、被曝しながら子どもを育てることはできないから、村とは別の場所で暮らす方途を探るべきで、政府はそのための財政支援を行うべきと考えている。
 村長をはじめ、もう少し上の世代は、徹底した除染により、3.11以前の村を復活させたいと考えている。
 いずれも、もっともであり、切実だ。

 除染には多額の経費がかかる。
 しかも3.11以前の状態に戻すには、住宅区域だけの除染ではほとんど意味がなく、山林すべての除染から始める徹底した除染が必要である。
 住宅区域だけの除染にさえ、一戸あたり5000万円の費用がかかるというから、徹底した除染には一戸あたり数百億円からの費用がかかるだろう。
 だから、村民が非汚染地域に転居する費用を全額補償したほうが、はるかに安価にすむのが現実なのである。

 しかし、そんな「現実」論は受け入れられない。

 人には、自分たちが暮らしてきた地域で暮らす権利がある。
 そこで暮らせなくなったのは、住民の責任ではなく、毒物をまき散らした東電の責任であり、それを後押ししてきた政府の責任である。
 除染すれば、元通りの暮らしが可能なのだから、いくらカネがかかろうが、除染すべきだ。

 膨大な費用がかかるというが、それは原子力発電のコストなのである。
 「日本」には、人口密集地に原発を作ってはいけないという法律がある。
 事故が起きることを前提に原発を作るのは、リスクマネージメントとして至極正当であり、事故は決して「想定外」だったわけではない。

 事故が起きる可能性が考慮されていたのだから、本来であれば、政府は原発事故対策費用を積み立てておくべきだったし、東電も、事故の際の保障費用を電力使用料に上乗せしておくべきだったのであり、今になって「カネがない」という話は無責任だ。

 カネがないから出せませんという論理は、通らない。

 政府は、除染以外の予算執行を一時的に停止するか、公務員の給与を半減させるなり一時停止するなりして、経費を捻出すべきである。
 また東電の株主は、原発によって不労所得を得てきた共犯者だから、所有する株式を全て処分するのはもちろん、過去に得てきた配当所得すべてを返還して、除染経費にあてるべきである。

 事故の際の保障費用は発電コストに含まれるという考え方からすれば、現状の電力使用料は安価すぎるのであり、安価な電気代に安んじてきた電力消費者も責任を負わねばならない。
 政府や東電が負担しきれない費用はすべて、電力使用料に上乗せするのは当然であり、電気代は、現在の10倍に値上げしても安すぎると考えなければならない。

 ずいぶん多くを考えさせられた本だったし、美しい雑木林の花塚山佐須山野手上山にまた出かけたいという思いが強くなった。

 写真は、飯舘村の風景。

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