原発

 3月26日付で東京電力から国に提出された電力供給計画に、福島第一原発の7号機と8号機の増設計画が入っていたという報道には、目を疑う。
 枝野官房長官は福島第一原発については、廃炉にするべきと言っている。至極まともな議論である。

 ロシアでチェルノブイリ原発事故で汚染除去作業にあたった技術者が、福島第一原発の事故について、経済的利益を安全より優先させたことを示す具体例だと述べている。

 今まで、電力会社および原発メーカーから金をもらいながら原発建設を進めてきたのは、おおむね歴代自民党政権である。
 枝野長官の発言には、金をくれた相手に対する歯切れの悪さが感じられず、好感が持てる。

 とはいえ枝野氏とて、昨日書いた中電浜岡原発などが、いつ起きても不思議でない大地震によって、重大な事故を起こす可能性があるなかで、大地震など「想定外」(想定してない もしくは想定したくない)という目つぶり運転を続けていることに対する根本的な疑問は、持っていないだろう。

 明快に言うなら、原発は今すぐ止めるべきだ。
 当然、日本中が計画停電になるのだが、そもそもその程度の電気しか、使ってはいけなかったのだから、がまんするしかない。
 そして、電気をなるべく使わない暮らしに戻るべきだ。

 電気は存分に使いたいが、原発はヤダなどという、ネゴトをいってはいけない。

 福島第一原発の状況は、自衛隊・消防・東電の頑張りによって、冷却システムの再構築に向けて半歩前進という意味で、好転の兆しをみせている。
 とはいえ、安心などできる状態ではない。

 菅首相は、今日の会見で「大きな夢を持った復興計画を進めていきたい」と述べているが、枝野官房長官は、数日や数週間で避難を解除できるような状態ではないと言っている。

 地震・津波からの復興と原発事故からの復興とは困難さのレベルがちがう。
 ともかく、現況は、復興を云々できる段階でない。

 今回の地震は、太平洋プレートが北アメリカプレートの下にもぐりこみ、地殻を破壊したことが原因だが、フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下へのもぐりこみによって東海・東南海・南海地震が起きることが、かなり高い確率で予想されている。
 東海地震の予想震源地のすぐ近くに、中部電力浜岡原発がある。

 中部電力のサイトには津波に対する安全性がうたわれているのだが、中電では、予想される津波について、「満潮を考慮しても、最大でT.P.+6m程度」と想定している。

 ところが、今回の地震後の津波については、確定的なデータはまだ出ていないが、大船渡市の綾里湾では、30メートルを超える高さまで津波が到達した痕跡があったという報道もあり、最大6メートルという中部電力の想定は甘すぎると言わざるをえず、今回同様、原子炉の冷却システムが破壊される可能性が高い。

 原子炉にとって危険なのは、寄せ波の破壊力だけでない。
 今回の地震の際の引き波がどの程度だったかも、確定的なデータがないのだが、地震発生15分後から約6分間で約2メートル上昇し、続く4分間でさらに約4・5メートル高さを増した。その後約30分かけて潮位が10メートル近く下がったという報道がある。
 これによって計算すると、潮位低下は、約3.5メートルである。

 2006年の段階で、東京電力は想定している引き波(水位低下のことか?引用者)は最大三・六メートルと説明。「最大で十分程度取水できなくなる」と認め、その場合には非常用の冷却設備を作動させる決まりだと言っていたにもかかわらず、バックアップの冷却設備もが破壊されたことが、今回事故の原因そのものだった。

 中部電力の説明も、数値シミュレーションによれば、水位低下によって、取水口の下端レベル(T.P.-6.0m)を4分間程度下回ることになります。この間一時的に取水できなくなりますが、取水槽には、原子炉機器冷却系に必要な量の海水が20分間程度以上確保されており、その間には取水塔位置の水位が回復します。したがって、水位低下に対しても原子炉施設の安全性は十分確保されていますと、東電とほぼ同じである。
 これで、安全性が確保されているとは、とうてい思えない。

 中部電力は、浜岡原発6号機の建設を見合わせるとともに、プルサーマル発電についても様子見の構えである。
 現状の安全が担保されたわけではなく、東海地震の際に、福島第一で起きたことが再現されない保障はない。
 今日は、通常勤務。
 たいへん忙しい。

 退勤後、自宅で本棚用材木の加工。
 加工だけでずいぶん時間がかかる。

 写真は、新薪置き場兼ぶどう棚。
 ここになら、かなりたくさんの薪を積むことができそうだ。

暗澹たる現実

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 飯舘村(花塚山野手上山などがある)の放射線値がIAEAの安全基準値を超えているという報道があった。
 これに対する枝野官房長官のコメントは、いつになく歯切れが悪く、「あのう、あのう」と苦しげに語っていたのが、不安をかきたてる。

 疑心暗鬼を生ぜしめない唯一の方法は、隠しごとをせず、データをきちんと明らかにすることである。
 自民党にそれは期待できないが、菅内閣にならできそうな気がする。
 早急にデータと方針を出してほしい。

 それにしても、原発周辺には、1000体の被曝遺体が二次被曝の危険性ありという理由で収容できていないという。
 ここで言われている放射線量は10万cpm以上ということらしい。10万cpmを耳慣れてきたマイクロシーベルトに換算すると、だいたい1時間あたり830から1000マイクロシーベルト程度になる。
 自然状態で被曝する放射線量が世界平均で年間2.4ミリシーベルト(日本はそれより低いという)だから、1時間あたりに換算すると0.00027ミリシーベルトすなわち0.27マイクロシーベルトである。
 正確には計算できないが、発見されたご遺体からは、おおむね自然被曝の3000から4000倍の放射線が出ているということになる。

 これらの町に家族や友人の遺体が残されているとして、彼ないし彼女に手を触れることさえできないという現実が、この列島の、さほど遠くないところで起きているのである。
 南方戦線で亡くなった兵士の遺骨収集は今でも続けられている。それは当然のことであり、国家の責任である。ひるがえって、被曝遺体が、目の前にありながら、手を差し伸べられないままに置かれている不条理は、どう理解すればよいのだろう。

 原発被災地域以外でも、身元確認断念という現実がある。

 そんな中、関西電力社長は28日に、定期検査中の原発3基の運転再開と今後予定している高浜原発4号機(福井県高浜町)でのプルサーマル発電について「粛々とやっていく」と述べ、計画通りに進める考えを示したという。
 中部電力や九州電力がしばらく自重する姿勢を示したのとは、対照的だ。

企業モラル

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 東京電力会長が記者会見に応じた。

 事態はまさに、刻々と変化しており、今後の推移がどうなるか、予測しがたい中、いつ終わるともしれない決死の作業が続けられている中での話である。

 東電にすれば、政府と一体になって事態の悪化を阻止するのが精一杯だということは、想像できる。
 しかし、原発事故にともなって避難している人々や、放射能に汚染された野菜の生産農家、海を放射能で汚されて仕事にならなくなった漁業者などだって、一刻の余裕もないピンチに立たされている。

 24日朝、福島の野菜農家が自殺した。
 記事によれば、須賀川市のこの人は、自作の腐葉土を使って有機野菜作りに取り組んでおられたそうだ。しかし、土がだめになれば、食べ物を作ることなどできない。
 この人の絶望感の深さが、痛いほどわかる。

 地震・津波の被害者への救援も急がねばならないし、原発事故の被害者をも、救わねばならない。
 そういう中で、東電会長は、「自社の責任」という言葉を、最期まで発しなかった。
 さらに、被害に遭われた方には東電を潰しても補償を優先するのかという問いに対して、「全体としては原子力損害賠償法の枠組みの中で考えていきたい」と答えている。

 この法律には、事業者の賠償責任について、「その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りでない」という免責条項が規定されている。
 東電トップがこの条項を知らないはずはないから、場合によっては、責任逃れということを考えているのかと、疑ってしまう。

 今回の地震・津波・事故は既に、現行の法的枠組みで処理できる範囲を超えている。
 救援・復興のための費用を捻出するための増税や公務員給与の引き下げなどに対し、強い異論は出てこないだろう。

 埼玉県あたりでは、一日最大6時間の停電(鉄道・病院・信号などを含む全面停電である)にも耐えている。
 この停電が一年間続くとしても、被災地を思えば、耐えるしかないという思いである。
 国費を、必要なだけ、救援と暮らしの再建のために注ぎこむべきだ。

 今は事故対応で手一杯であるなら、それでもよい。
 しかし、補償問題に対して、「経営感覚」を発揮しようというごとき発言は、許されない。
 「当社の責任は誠に無限大である。社の存亡をかけて、補償に応じたい」くらいのことを言うのが、まともな企業モラルというものではないか。

 個人的見解と断ってはいるが、「免責事項の適用はありえない」と述べた枝野官房長官の判断は、至ってまともである。

雁坂道の夜明け

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朝日に向かって歩く

ラッセルの跡

 年度末にかかり、根詰め仕事が集中して苦しいのだが、仕方がない。
 今日は、休みをとってあったのだが、平常のとおり勤務した。

 福島第一原発周辺のプルトニウムを計測する機器がないという東京電力の話は、嘘だった可能性が高い。
 枝野官房長官は本日、原発敷地内からプルトニウムが検出されたのみならず、それが燃料棒の溶融によるものであろうことを明言し、「大変深刻な事態だ」と述べた。
 枝野氏の発言が根拠のないものとは考えにくいから、東電の話は嘘だとしか、考えられない。
 日本中の人々が心を痛めている問題に関し、虚偽を発表したり、事実を隠蔽しようとする東京電力の言うことは、全く信用できなくなった。

 事態は、相変わらずというか、深刻さの度を深めている。

 破滅的な事態を避けるためには燃料棒を、水でひたすら冷却し続けるしかないという。
 冷却期間は、3年から5年というから、長丁場の取り組みにならざるをえない。
 万一、何らかのミスにより冷却に失敗して原子炉格納容器が壊れれば、東日本の広い範囲が破滅的な情況になるのは免れない。
 現在取り組まれている決死の注水作業は、極めて重要だと思う。

 ところが、現在起きているのは、注水することによって漏れ出た水が、高い放射能に汚染されていて、作業を妨げているだけでなく、この高濃度汚染水を一時的に貯蔵する施設もなく、場合によっては、この水が海に漏れ出す可能性もあるという事態である。

 破滅に至らないためには、注水作業を止めることは絶対にできない。
 しかし、注水することによって、各種作業の足かせとなる高濃度汚染水を大量に発生させてしまう。
 放射性物質の封じ込めは、ほとんど絶望的に困難であり、破滅的な情況の回避を優先させるならば、汚染水を原発敷地の内外にどんどん運び出すなど、ある程度の放射能拡散はやむなしと考えるべきかもしれない。
 枝野氏が「大変深刻」と言っているのは、そのような意味だろう。

 こういう事態になっているのに、国営放送では、ニュースより高校野球の実況を優先している。
 一体、どういう神経をしているのだろうか。

 写真は、一昨日の夜明け前後。

プルトニウム

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 福島第一原発3号機がMOX燃料すなわちウランとプルトニウムの混合燃料を使用していることは、事故発生当時から、一部で話題になっていたが、マスコミはこのことについて、あまり報道してこなかった。

 原発の破壊にともなって漏出した物質から検出される放射線量が大きな問題性があるのは事実だが、プルトニウムが漏れ出したとなると、多くの国民が恐れている以上に、容易ならざる事態となる。

 三日間、山にこもっていたので、この間どれほどの調査がなされてきたかわからないのだが、枝野官房長官が今日の午後、「プルトニウムが周辺の土壌を汚染しているかどうかの調査を急ぐ」と述べた。
 3号機がプルトニウムを燃やしていることは誰でも知っていたことだから、3号機で爆発が起きる前から、このことは危惧されていたはずであり、とっくに調査され始めていたはずだ。

 枝野氏は、もしプルトニウムが「検出されれば『対応をしなければならないので、土壌の分析、調査を急がせている』と語った」とのことであるが、これは政府にとって、絶望的に厳しい事態だと言わざるをえない。

 電気事業連合会は、プルトニウムから発せられる放射線であるアルファ線は、紙1枚でもさえぎることができ、プルトニウムが体外にある時には皮膚の表面で完全に止まってしまうことから身体的な影響が問題となることはありませんと述べているが、原子炉破壊にともなって放出されるチリなどに付着したプルトニウムが体内に取り込まれ蓄積した場合、人間のほぼ一生にわたってアルファ線の内部被曝が続く。
 電事連の説明は、事故が起きても環境へ放出されにくい設計となっていますと述べるにとどまり、上の点には、全く触れていない。

 プルトニウムは「かつて人類が遭遇した物質のうちでも最高の毒性」を持ち、「角砂糖5個分で日本が全滅」すると言われる強毒性の物質である。
 そのプルトニウムが漏れてる可能性が強いことに、政府は、とっくに気づいているはずだ。
 原発燃料に主に用いられていると思われるプルトニウム239の放射線半減期は約2万4000年である。

 なお、プルサーマルの「安全性」をコマーシャルで流し続けてきた電事連=東京電力は、「プルトニウムはアルファ線だが、どれぐらいの量があるかを測定する装置を当社は持っていない」と述べた。その上で、プルトニウムが出ている可能性があるということか、との問いに、 「測定していない以上は、絶対ないとは言えない」と答えた とのことだ。
 これをわかりやすい日本語に直せば、「こんな事故が起きるとは想定してなかったから、プルトニウムが出たかどうか調べる機器なんかもってません。調べてないから、プルトニウムが出たかどうかはわかりません」ということだろう。

 福島第一原発の構造はみんなほぼ同じだろうから、3号機の原子炉建屋上部にも、プルトニウムを含んだ使用済み核燃料がプールに漬けられていたはずだ。
 最も派手に爆発したのが3号機だから、映像を見れば、使用済み核燃料は木っ端微塵になったのではないかと思われるが、ちがうのだろうか。
 いまだに消防車による放水を続けているということは、政府として、燃料プールが健在だと考えているということだが、その見通しは正しいのだろうか。
 この点について、枝野氏はまだ、何も語っていないのではないかと思うがどうだろうか。

物見遊山です

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 仕事の山はどうにか越えたが、明日から仕事で山に登らねばならない。
 民主党の国会議員が「物見遊山はやめて」と言っているので、なぜだろうと思ったら、国会議員の視察に対して言っているのだった。
 ちょっとほっとした。

 枝野官房長官が言っているように、福島第一原発は相変わらず、危機的な状況を脱していない。

 現時点ですでに、放射能による土壌汚染が報道されている。

 原子力安全・保安院は23日未明の記者会見で、福島県内の高濃度に汚染された野菜が見つかったことに関連して、「セシウムは半減期が長く、場合によっては土壌を入れ替える作業も必要になるかもしれない」と発言した。

とあるが、人が暮らしていかねばならない以上、畑の土壌を入れ替えるだけですむわけがない。
 人家の庭の土壌だって汚染されてるし、登山道だって、渓流沿いの杣道だって同様であるはずだ。
 セシウム137がほぼ消滅するには、数百年もかかるのに。

 国家など愛していないが、国土とそこに住む民は愛している。
 この列島を汚し、破壊し、人が住めなくするものを憎んでいる。

 ダムと戦争を憎んできたが、原発も許せないと思う。
 電気をさらに使わないようにしたい。

 事態は一向に好転しておらず、現場では決死の作業が続けられている。(今現在ここが詳しい)
 また、福島など4県産の農産物の出荷制限と摂取制限により、農業者は致命的な打撃をこうむっている。
 地震・津波被災地への救援も緒についたばかりだ。

 そんな最中に、補償の押しつけ合いを始めるとは、ヒドイ話だ。
 枝野官房長官が、「まずは東電が責任を持つ。十分に補償できない場合は国が担保する」とマトモなことを言うとすかさず、「原子力は国策で進めてきた。東電の負担が過大だと、民間会社としては大きなリスクを負う原子力の推進に協力できにくくなる(大手電力幹部)」ということを言った人がいる。

 「大きなリスク」ってなんなのか。
 誰にとっての「リスク」なのか。
 この人は、会社が損するか、得するかしか、考えていないのである。
 「この地震が起こってよかった」と発言した大阪人ではないが、公衆の面前で言えることではないだろう。

 また補償問題に関連して、渡辺喜美という人が、公益事業を担う会社が原因で多くの災難がもたらされた以上、国の関与を考える必要がある。東京電力の一時国有化も検討しなければならないと、言い始めた。

 東京電力と政府は既に一体である。
 資源エネルギー庁長官を2010年8月に退任した石田徹という人物が、2011年1月に東電の顧問に天下ったことは、大きなニュースだった。(それを追認したのは枝野氏だった。枝野さんは今、どう思っているのだろう)

 自民党は東電から多額の政治献金ももらってるから、大津波で冷却システムが動かなくなると言われようが放置させていたし、福島第一原発で最長で11年間にわたり点検していない機器があった(それが判明したのは2011年2月28日である)のに、民主党政権もまた見逃していたのだが、それも当然といえば当然だった。

 もうかってる時には高級官僚をどんどん天下りさせつつ、大株主の懐を暖めてやり、会社がピンチの時には税金で助けてやるというのは、バブル後の不良債権処理の時に使った方法だ。
 これでは、「撤退なんかしたら東電は潰れるぞ」と怒鳴った菅首相の方が、ずっとまともだ。

 福島第一原発が所在する阿武隈北部(中通り北部)は、かつて何度か、低山歩きに通った地域である。

 手倉山戸神山十万山は浪江町、五十人山鎌倉岳は旧常葉町、弥宣の鉾五社山糠馬喰山大滝根山は川内村、国見山懸の森は原町市に属する(いくらか違ってるかも)。

 いずれも原生林こそないが、雑木やアカマツに覆われた、まとまりのよい低山で、落ち葉を踏んでの陽だまりハイクに格好の山々である。
 山懐には、小さな鉱泉宿が点在し、五右衛門風呂で温まってのんびり眠ることのできる、自分にとって、取っておきの低山スポットでもあった。

 多少は見知った地域で、放射能汚染により避難指示や屋内待機指示が出され、人々が逃れ出ていきつつある。
 中には、住民の相当数が町ぐるみ避難して、いずれは移住などと、恐ろしい話がマスコミでは流されている。
 人が住まなくなることは、地域が崩壊していくことである。

 これこそ、日本列島の崩壊である。
 農山漁村がすこしずつ崩れていきつつあるのは理解しているが、老若男女がまとまって地域から逃れていく風景は、衝撃的だ。
 これら低山の麓には、多数のため池が築かれ、田んぼが築かれていたはずだ。
 原発事故は、これらの地域に受け継がれてきた暮らしの知恵と文化を破壊してしまった。

 都会民が電気を使って快適に(人として退化して)暮らすために、これほどの犠牲があってよいものか。
 東京都知事は、この津波を天罰と言い、大阪府議会議長は、「大阪にとって天の恵みというと言葉が悪いが、本当にこの地震が起こってよかった」と発言した。
 これらの人々は、原発で作った電気にまみれて、人としての基本的な知恵も技術も想像力も退化させてしまったのだろう。

 計画停電が続き、学校では授業中ずっと電気が使えない。
 とりあえず4月いっぱいまでこの状態が続くという話もあるし、あと1年は続くという情報もある。
 いずれにしても、電気を大量に使う暮らしを続ける限り、どんなに危険でも、原発を作り続けるしかないのだろう。

 だとすれば、電気をなるべく使わない暮らしを築く以外に、列島文化の永続性など担保されないことに、気がついてもよさそうなものだ。

炭火焼パン

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自家製全粒粉+カメリヤスペシャル

上州地粉+カメリヤスペシャル


 今朝は、買った小麦粉でパン作り。
 粉が白いので、見栄えはいいが、自家挽き小麦粉の方が、香ばしい感じがする。
 写真を見比べてみても感じが異なる。

 玄関棚は、とりあえず、完成。

 町でガソリンを売っているという噂を耳にしたので、午後に、農作業を兼ねてガソリン買いに出た。
 自宅から一番近いガソリンスタンドまで12キロほど離れているので、買えるかどうかわからない状況で出かけたら、それこそガソリンの無駄遣いになってしまいかねない。

 行ってみると、2から3台待ち程度で1リットル150円、MAX3000円限定だったので、ちょうど20リットル買えた。
 これでしばらくの間、通勤の心配をしなくてすむ。

 小雨が降っていたが、引き続き、農作業。

 ジャガイモの植え付けと長ネギの種まき。
 今年の長ネギは一文字黒昇り。

 福島、茨城、栃木、群馬4県で、野菜類の出荷停止などの措置が取られた。

 枝野官房長官の会見は、各種の数字をきちんと出して説明しているところに、信頼感がある。
 自民党だったら、こうはいかないように思う。
 枝野氏のタフさにも、感服する。

 しかし彼の、言語明瞭な説明の中に、引っかかる点がいくつかある。

 ひとつは、なんども聞いた、「直ちに健康に影響を及ぼす値ではない」という表現である。
 放射能障害は、「直ちに」あらわれるとは限らない。
 被曝直後には、何でもないように見えても、数年あるいは数十年後もたって現出するのが、放射能の恐ろしさである。
 「直ちに健康に影響を及ぼす値ではない」という表現は間違っていないが、将来的な悪影響については、未だ未知数というほかないのが正確な話だと思う。

 もうひとつは、4県産野菜から検出された放射能を手にすることと、それを食べることとはかなり違うということを、はっきり説明していない点である。
 放射能を帯びた野菜を摂取すると、外部被曝の場合と異なり、体内でα線やβ線に被爆することになる。

 たとえば、このサイトは「外部被曝がアルファ線やベータ線は被曝に関与せず、ガンマ線だけに被爆するという条件に対しまして、内部被曝では、アルファ線、ベータ線が非常に大きな被曝を与えます。核分裂生成原子の場合、ベータ線が圧倒的多数でガンマ線が付随している状況で、ベータ線、アルファ線には被曝の局所性と継続性があるわけですから外部被曝に比べて極端に大きな被害形態であることを強調したい」と記述している。

 それでも、出荷停止には、してほしくない。列島の農業を守らなければならない。
 一昨日付の生活記に、「大人は、福島・茨城県産農産物を買うべきだ」と書いたのは、4県産農産物をなるべく大人が食べて、子どもにはそれ以外の産地のものを食べさせてほしい」という意味だった。
 人生の何たるかをいささかなりともかじった自分の世代と、これから人生を生きる子どもたちとでは、10年後、20年後の生きていることの価値が全く違うからである。
 でも、よく考えれば、あまり現実的ではないかもしれない。

自然的基礎

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 午前中は、パン作り。
 午後、農作業用具整理棚兼靴棚作り。
 玄関が滅茶苦茶なので、多少なりとも整頓したいのだが、時間切れで完成には届かなかった。

 夕方前から畑に行って農作業。
 大量の水汲みと潅水。
 ジャガイモの植えつけ少々。

 福島と茨城の農産物から規制値以上の放射能が検出されてしまった。
 頭ではわかっていたことだが、大変なことになってしまった。
 大変なのは、基準を多少超える程度の放射能が検出されたことではない。

 このことによって、日本の消費者がまたパニックを起こし、福島・茨城の農家・酪農家が窮地に陥りかねないことが、大変なのである。
 福島・茨城の農業を救わなければならない。
 出荷の自粛など、必要ない。大人は、福島・茨城県産農産物を買うべきだ。

 今年の年頭に、日本列島で暮らすとはどういうことか、考えていた。
 要点はだいたい、以下のようなことである。

 ものの考え方の基本は、日本列島の自然的基礎の上に置かれねばならないと、思っています。
 列島の自然的基礎とは、日本海流・対馬海流の二つの暖流の存在と、太平洋・フィリピン海・ユーラシア・北アメリカの四つのプレートの存在、そして太平洋とシベリアから吹き出す二つの季節風です。

 自然的基礎を具体的に言えば、暖流の存在によって温暖・多雨である点、四つのプレートの境界線上に位置しているが故に隆起した、急傾斜で崩壊しやすく、火山の多い大地で暮らさねばならないということである。

 この大地で、大平原を有する国と競争可能な農業をめざすということ自体が、論理的に意味をなさない。
 列島の祖先は、この大地で暮らすのに最もふさわしい知恵や技術を、一万年もかけて磨き上げてきたのだ。
 それをきちんと受け継ぐことが、列島で暮らす上で、最も賢明な道なのである。

 今日もまた、ずいぶん強く揺れた。

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