浄因寺境内の熊野神社
足利の低山歩きと観光の一日。
このあたりには以前しばしば、自動車で出かけたのだが、今回は電車でアプローチ。
所要時間はあまり変わらなくて、電車のほうが格段にラクだ。
山は、織姫神社から浄因寺まで。
このコースは、21年前に歩いているのだが、今回はお寺めぐりが中心なので、コースは微妙に異なっている。
前回は立ち寄らなかった大岩毘沙門天や浄因寺をじっくり見て回った。
今日もいい山歩きができた。
足利の低山歩きと観光の一日。
このあたりには以前しばしば、自動車で出かけたのだが、今回は電車でアプローチ。
所要時間はあまり変わらなくて、電車のほうが格段にラクだ。
山は、織姫神社から浄因寺まで。
このコースは、21年前に歩いているのだが、今回はお寺めぐりが中心なので、コースは微妙に異なっている。
前回は立ち寄らなかった大岩毘沙門天や浄因寺をじっくり見て回った。
今日もいい山歩きができた。
1泊2日かけて武甲山へ業務登山。
歩いた時間は合計14時間半だった。
けっこう疲れた。
里山修験ミュージアムのような中信・坂北村の岩殿山へ。
これは、三社権現のお宮。
上野に、京都・大報恩寺展を見に行ってきた。
展示の中心(というか自分のお目あて)は、同寺の十大弟子像だった。
十大弟子といっても、われわれ今の人間にとっては、それが誰でそれぞれどういう人だったかなど、調べなければわからないのだが、平安時代人や鎌倉時代人にとってそんなことは、「一般常識」である。
誰もが知ってる彼ら十大弟子のキャラクターを、どのような身体つき・どのような表情で表現するかが、快慶と彼の工房のスタッフに課せられたミッションだった。
へまは許されない。
かといって、キャラの立たない表情に仕上げたのでは、見る人をがっかりさせる。
それにしても、彼らは、いい仕事をした。
見に行ってよかった。
読書ノートに、『センセイの鞄』を追加。
写真は、米山・野田コース、最初の地蔵石仏。
山頂におかれた石仏の多くは、なんらかの願掛けを意図して誰かが担ぎ上げたものだ。
これだけ重いものを大切に背負いあげる人の気持ちに、不純なものが入り込む余地はない。
思いが通じることをひたすら信じる人の一念に、頭が下がる。
ここは信州駒ヶ根、戸倉山。
信州地大根の種まき。
のらぼう菜の小苗の植えつけ。途中まで。
大除草。
桧沢岳の神社前にはあずま屋風の建物がある。これは祭礼の際に集まった人々が入るこもり堂で、昭和45年に建てられたというが、そろそろ倒壊しそうな感じだった。
佐藤節『西上州の山と峠』には、「この下段にも、もうひとつ、大きな洞窟があり、つい先年まで、祭りには山ごもりして賭場を開帳し、楽しみのうすい山住まいの、娯楽にしていたということです」とある。
『最新ハイキング北関東』(1989 山と渓谷社)に、桧沢岳の奇祭「罵倒」について、『北甘楽郡史』から引用された文が載っている。
「毎年十月九日、桧沢岳の例祭日には登山者相互に罵り合い、若し、之を負けて沈黙し、また、怒るものあるときは、そのものの家は養蚕の結果あしかるべしとて、一面識なき者に対しても悪罵を浴びせかくる風ありしが、近年世の進むに従い、かかる弊風は一切廃されたり」
西上州でも険しい奥山になる根草あたりでも、養蚕はかつて、主要産業だったようだ。
出勤前に大根第二次種まき準備。
雨が降り出す前に、たたら辛味大根の種まき。
26年前にきたときには、登山口の家で道をたずね、このお宮は御岳神社だと聞いたのだった。
小さな投入堂になっている神社はいま、おまつりされている様子がない。
登山口の根草集落に、人の気配はなかった。
なんだか悲しい。
これでは、登山する意味がない。
朝から断続的に雨と風。
やみ間に畑に行って食料の確保。
写真は、砂鉢山登山道で見た愛染明王。
そぼ降る雨の中、お寺参り。
濡れた岩や木の根頼りに1時間ほど歩いて、お堂の下に到達。
ここは伯州三朝町、三佛寺投入堂。
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