神社仏閣

宇賀神社

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宇賀神社

 午前中は集落の新年会。
 その後は身体休め。

 写真は、塩沢城登城口・宇賀神社。
 献額に「長尾山」と大書してあるのは、景春のことだと思う。
 しかしこれでは一見すると寺院の山号のようだ。
 宇賀神社は稲荷様を祀っているのだが、はて。

 ホームページのアクセスカウンタが、100万を超えていた。
 ご覧いただいた皆さま、ありがとうございます。

矢合神社

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矢合神社

 朝の気温は氷点下6.0度(実測)だった。
 季節風が強く、山鳴りがしていた。
 この冬は暖冬かと思いきや、そうでもなさそうだ。

 写真は北近江・虎御前山登山口の矢合神社。
 神社だが、鐘楼がある。
 このあたりには信長に焼かれた寺があったらしい。

智積院

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智積院講堂

 東山・智積院さんにお参り。
 ここの縁で腰を下ろしてふうっと息をつけば、日本文化が少しわかったような気になる。
 周りにおられた外国からのお客様もみな、神妙な顔をしておられた。
 それにしてもあの消火栓を目立たなくする工夫はできないものか。

国家安康

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方広寺鐘楼


 国家安康・君臣豊楽の鐘。

(家来) またこの者が歩いておりました。
(秀吉) 懲りぬ奴じゃ。
(おれ) いやー神様になられましたか。おめでとうございます。
(秀吉) バカを申すな。わしが建てた壮大な方広寺が、こんなちっちゃい寺になってもうたよ。茶々も秀頼も死んだし、禁裏からもろうた「豊臣」の姓も無うなった。大坂城も燃えてもうた。家康めが・・・。

耳塚

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耳塚

 豊国神社前の耳塚。

 豊臣秀吉は明を征服し天皇を北京に移すという計画のもと、子飼いの大名たちに命じて朝鮮半島に攻め込んだが、朝鮮官民の抵抗により戦況は悪化した。
 秀吉がいかに叱咤激励しようが、挽回は不可能だった。

 困惑した大名たちは、奮戦の証として、かさばる首の代わりに、朝鮮民衆の耳や鼻をそぎ、塩漬けにして秀吉の元へ送った。
 大名たちの手元には、秀吉の祐筆が書いた、鼻の領収証が残されている。

 数を改めてしまえば、塩漬けの耳鼻に用はないが、捨てられた耳鼻が小山ほどになった。
 それが耳塚として今に残る。

 秀吉の死によって戦争は自然に終了となったが、退却に際し大名たちは、百姓・陶芸家・学者などを大量に拉致して自国へ連れ帰った。

宝篋印塔

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宝篋印塔

 長尾根へ行って、落ち葉かき。
 畑でエゴマや里芋あとを片付けて耕耘。
 今日は、ケツメイシの残骸で風呂を沸かした。
 写真は、31番の宝篋印塔。慶応2年奉納とある。

石仏どよめく世界

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東奥の院


西奥の院

 職場のオフィスは17度くらいと、ちょっと寒かったが、耐えられないほどではなかった。

 札所31番は、お堂と納経所の建つ小平坦地を風化の進んだ岩壁が取り囲んでいて、ちょっとしたオーバーハングにはことごとく石仏がおかれて、曼荼羅のような世界を醸し出している。
 昔の人はさぞや感嘆しただろうし、石仏製作者も張り合いがあっただろう。

石仁王

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石仁王

 風邪は快方に向かっているが、身体を動かすと微熱が出る。
 野菜の収穫と買い物に出たほかは、自宅で読書と書きもの。

 明日は普通に出勤するつもりだが、どうなるか。

 写真は、札所31番の石仁王。
 石仁王としては日本最大と書いてある。

鑁阿寺

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鑁阿寺


足利学校


 ケツメイシの処理。半日くらいでは到底終わらない。
 刈り取りが遅く、脱粒してるのが多かった。

 畑へ行って、草むしり。

 写真は、足利・鑁阿寺と足利学校。
 鑁阿寺は、迫力満点の大寺院だった。

仁王像

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仁王像

 以前勤めていた木工所から端材をいただける話があったので、さっそく出かけてきた。
 とても助かる。

 仕事の合い間を縫って、タマネギ苗の植えつけ。
 時間切れで途中まで。
 えんどう豆の種まき。こちらは終了。
 
 写真は、大岩毘沙門天の仁王像。
 説明板には運慶作とあったが、ホントかな。

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