終日、農作業。
ニラの植え替え。
ほうれん草の片付け。
かぼちゃの植えつけ。
オクラの直播。
金胡麻の直播。
写真は、将軍杉近くの平等寺薬師堂。
室町時代の建物だが、集落の中にごく自然に建っている。
建物の中には、御館の乱のときに蘆名氏配下の侍が残した落書きが残っているという。
終日、農作業。
ニラの植え替え。
ほうれん草の片付け。
かぼちゃの植えつけ。
オクラの直播。
金胡麻の直播。
写真は、将軍杉近くの平等寺薬師堂。
室町時代の建物だが、集落の中にごく自然に建っている。
建物の中には、御館の乱のときに蘆名氏配下の侍が残した落書きが残っているという。
今積んでいる薪がまた崩れた。
全く困ったことだ。
この次はトラロープで抑えつつ、一段とていねいに積んでみる。
雨のやみ間に、畑の耕耘。
写真は、塩田平の安曽神社随神門。
このあたりでは、ソメイヨシノが満開だった。
春真っ盛りになり、山林作業も暑くなった。
明日は山仕事を休んで、畑や家の仕事をする。
ナス苗購入・植替え。
今年のナスは、苗を買った。
写真は、世良田東照宮。
仕事がもうすぐ終わるというところで、チェンソーのナットが一つ脱落して、使えなくなった。
新しいナットを買ってきて修理したから無問題なのだが、チェンソーがないと生きられない。
大事に使わねば。
征夷大将軍になるにあたって、徳川家康は自らの出自が問題になると危惧した。
将軍を任命するのは天皇だが、天皇を取り巻く公家たちは、権力も財力も持たない代わり、「先例」や「血筋」こそ最高の価値と信じていた。
「徳川? 誰それ?」と言い出しかねない公家たちを黙らせるため、怪僧天海は、「徳川(松平)家は新田義貞の子孫である」といいう物語を史実にすることを考えついた。
新田氏の系図は書き換えられ、天海は日光の東照宮を群馬県尾島町(現太田市)に勧請して世良田東照宮を造営した。
江戸時代以前のものではないが古い建造物で、歴史は書き換えられるということを象徴するモニュメントである。
退勤後、畑仕事。
スナップえんどうの支柱に竹枝を取り付け。
じゃがいも予定地の耕耘。
トラツグミとコジュケイの初鳴き。
写真は、楽法寺の鐘楼。
午前中、ムクゲ公園で公園整備。
玉切りと玉まくり、小枝の処理。
午後は荒川水系渓流保存会の総会。
昨日は氷点下6.9度と、ひどく冷えたが、今日は穏やかだった。
氷点下6度を下回る日が4日続いて参っていた。
長かった冬だが、ようやく底を打った模様。
写真は、上田市川西の小泉大日堂。
ここも室町中期の建築。ただし、村上義清と武田信玄の合戦のとばっちりをうけて、この本堂以外は焼失したと説明されてあった。
今朝は氷点下5.8度。昨朝は氷点下6.0度。いずれも実測。公式発表だともう少し低い。
この気温だと水道が凍るので、夜にゆっくり眠ることができない。
この週末からやや春らしくなるようなので、期待したい。
ピーマンとブロッコリーをポットに種まき。
写真は、青木村の日吉神社。
閑散としているが、室町時代の建築だという。
体力不足になりそうなので、筑波連山の端っこに行ってきた。
御嶽山と雨引山。
実際のところ、お散歩コースなのに、けっこう疲れた。
写真は、楽法寺の多宝塔。
風はあったが、よく晴れた日だった。
足尾山から御嶽山までの低山を歩こうとして出かけたのだが、時間がちょっと忙しくなったので、足尾山から燕山まで歩き、縦走を打ち切って下山した。
計画がずさんな上、体力の低下を読み切れていなかった。
山麓を含めて、加波山神社があちこちにあることと、加波山とは迦葉山であり、修験の山だということを知った。
朝から、牛頭天王様のお祭り。
ワクチンを打った左肩の疼痛あり。
その他、軽く痛いところがあるが、おそらくワクチンとは無関係。
あまり激しいことをするなという注意事項に従って、今日は休息日。
滝上不動堂の手前に、九頭龍権現の小祠あり。
品刕山塊の軍荼利山を歩いてみた。町裏の小ピークである。
この山名が正しいか、よくわからない。
道形はあったりなかったり。
ピークには風化の著しい軍荼利明王の供養塔と小祠。
途中の山腹に、滝上不動堂。
さほど古くなさそうだが、お祭りされているようには見えなかった。
下山後、ワクチン接種。
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