巨ホオ
大ケヤキ
カボチャ苗・エンサイ小苗の植えつけ。
今年のカボチャは、白爵を植えた。
草むしり少々。
田んぼの畦に商品名「あぜガード」張り。これは途中まで。
なかなかの重労働だった。
写真は、米山で見た巨木・奇木。
この巨ホオは、かなりすごいものだと思う。
巨ホオ
大ケヤキ
カボチャ苗・エンサイ小苗の植えつけ。
今年のカボチャは、白爵を植えた。
草むしり少々。
田んぼの畦に商品名「あぜガード」張り。これは途中まで。
なかなかの重労働だった。
写真は、米山で見た巨木・奇木。
この巨ホオは、かなりすごいものだと思う。
JICKYさんに声をかけていただいて、荒川林道を歩いてきた。
歩いた区間は、入川釣り堀-赤沢取水堰-中小屋沢出合-ヒダナ沢出合-荒川小屋あと(小荒川谷出合)の往復だった。
登りはかなり時間がかかったが、下りは小荒川谷出合から取水堰まで、2時間強で下れた。
お声かけいただいたJICKYさんはもちろんだが、荒川林道の踏査記録を公開されている先蹤者の皆さん、悪場にトラロープをかけて整備までされている方などのお力で、ようやく歩けたルートだった。
荒川谷方面から靴を濡らさずに、速やかに下山したい向きには、いいルートだと思う。
ルート図はこちら。
安谷川の大カツラに匹敵する巨大なカツラを見ることもできた。
奇杉2
薪作り少々。
ピーマンの鉢上げ。
フシグロセンノウの株分け。
里芋の植えつけ。
エビ芋と生姜の植えつけ。
春インゲン予定地の準備。
写真は、権現山で見た奇木。
ミツマタ
ミツマタ
丹沢の権現山を歩いてきた。
途中のミツバ岳山頂一帯は、ミツマタの大群落になっている。
花の盛りをやや越えて、ほぼ満開と言ってよい状態だった。
ミツマタはたいへん有用な低木なので、自然の群落はちょっと考えられない。
いつか誰かが植えたものなのだろうが、それにしてもみごとだった。
ネズコ2
今朝は氷点下5.7度なのに、水道が凍った。
そろそろこの冬の底にさしかかっているはずだ。
明日もきっと、凍るだろう。
今夜はおちおち眠っていられない。
落ち葉堆肥の三回目の切り返し。
第一次落ち葉堆肥の作業はこれで終了。
第二次堆肥にとりかからなければならないのだが、米糠がない。
写真は、白毛門登山道のネズコ。
大ネズコまでは到達できなかった。
新海三社神社のケヤキ
新海三社神社のケヤキ
雪は10センチほど積もっただけであがった。
これなら雪かきの必要もない。
何よりも、「雪が降ってんだから、何にもできないよな・・・」と自分に言い訳できるところがありがたい。
暮れに掘ってきたヤーコンの処理。
ヤーコンはこのところ、乾燥芋に似た乾燥ヤーコンにして食べている。
皮をむいて切り芋にして、しばらく自然乾燥させる。
ある程度乾いたら、乾燥機を使って、一気に仕上げる。
たぶん一週間くらいかかるだろう。
写真は、長野県臼田町の小唐沢山登山口近くにある新海三社神社の大ケヤキ。
ブナ2
ブナ3
ボイラ用の薪作り。
とりあえず半月くらいは、薪の心配なく風呂に入れる。
百姓のために畑に出かけたら、管理機のスターターの紐が切れていた。
修理のために小1時間費やしたが、結局農機具店行きとなった。
夜なべに、豆仕事。
写真は、三国山稜で見たブナたち。
丹沢と接続する山域だから、もっと太いブナがあってもよさそうだが、たぶん伐られたのだろう。
しかし、壮年ブナの林もいいものだ。
大坂城の観光。
多分これで三回目。
まわりを歩いている人のうち8割は、中国からおいでになったお客様と見た。
日本人は約1割くらい。
有馬温泉もそうだったが、日本の観光を支えているのは中国の人たちだ。
子ども連れの若いご夫婦も多い。
大阪城公園に植栽されている樹木のほとんどは照葉樹で、年季の入ったような木は見なかったが、よく手入れされていて、いい感じだった。
今日見た中でもっとも印象的だったのは、大手前・舎密局あとの大楠。
鬼畜大阪府警とNHKに挟まれ、土もほとんどないような一画に、由緒ありげな石垣あととともに、立派な枝を広げていた。
『戦国のゲルニカ』の読書ノートを追加。
油日神社のコウヤマキ
久しぶりに、鈴鹿を歩いた。
時間があまりないので、油日岳のみ。
奥余野森林公園駐車場から、ゾロ峠に登り、三国岳から油日岳に至って、元の駐車場に戻った。
甲賀周辺の油日神社・櫟野寺・田村神社をお参りしたが、櫟野寺の本尊は、大量の仏像とともに東京へ出張中だし、本堂も工事中で拝観はできなかった。
写真は、稜線から望んだ伊勢湾と、油日神社のコウヤマキ。
川内村上川内の将軍杉。
坂上田村麻呂が東北征伐の際に植えたと伝えられているので、それを事実と考えれば、計算上、樹齢は1200年をやや超えたくらいとなる。
とても立派な杉だが、樹齢1200年はいかがなものだろうか。
阿武隈にも、田村麻呂伝説は多い。
坂上田村麻呂は、京都政権の尖兵として、自分たちに従おうとしない東北を武力と奸計によって切り崩そうとした人物だ。
田村麻呂らによって捕虜にされた人々は、関東地方などへ連行され、そこで暮らすことを強いられた。
田村麻呂らに対し、頑強に抵抗した伝説上のリーダーが「悪路王」である。
川内村の伝説では、悪路王が拠点とした場所は、川内村最高峰の大滝根山になっている。
以上の伝説から考えても、悪路王は、東北住民の抵抗のシンボルであり、彼は暴虐な侵略者と戦うために、故郷の山に立てこもったヒーローであるはずなのだ。
建国神話にも、西国から大和へ襲来した「神武天皇」軍に抵抗した「ナガスネヒコ」とか「土蜘蛛」などの「悪者」が登場する。
彼らもまた、侵略者から故郷を守るために戦った勇敢な人々だった。
歴史は、勝者のために書かれる。
勝者が書きたくなかった歴史が知りたければ、理性を働かせなければならない。
蛇足かもしれないが、田村麻呂以前の大和(京都)政権軍の敗北の事実を記録した歴史記者や、抵抗者たちが存在したことを建国神話に記録した歴史記者たちには、史家としての学問的良心を感じている。
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