冬型のため季節風が強い。
畑のさまざまなものが吹っ飛んだため、その補修。
軽トラのタイヤ交換をはじめたが、あと1本というところで日没。
夜なべに豆仕事。
写真は、一宮・山宮神社の夫婦杉。
この木は元気そのものだ。
冬型のため季節風が強い。
畑のさまざまなものが吹っ飛んだため、その補修。
軽トラのタイヤ交換をはじめたが、あと1本というところで日没。
夜なべに豆仕事。
写真は、一宮・山宮神社の夫婦杉。
この木は元気そのものだ。
甲州一宮の小さな周回コースを歩いてきた。
蜂城山の大ヤマボウシ(笛吹市天然記念物)は、数年前までは健在だったようだが、大往生を遂げていた。
同じく大久保山の天然記念物・大アカマツも、枯死したのか、伐倒されてあった。
人生のスケールが人間とは桁違いな樹木たちの最期に、遭遇することもある。
アズキナシ
斜めミズナラ
今日も大豆摘みと豆仕事。
朝は氷点下3度とそこそこ冷えたが、昼間は暖かい。
ヤーコンの収穫。
惰性のように作っているヤーコンだが、今年は呆れるほどの豊作だった。
写真は、富士山周辺の大木たち。
アズキナシは天然記念物だが、実はもうついていなかった。
ブナ林2
アスパラ地上部を刈って、ついでに枯れ草燃し。
夏野菜跡地の片付けをようやくにして、始めることができた。
植えるものは、昨日のいちごで終了だが、取り入れなければならないものはまだずいぶん、残っている。
飯田冬菜をいくらか抜いてきて、塩だけで漬け込み。
写真は大持山南西尾根のブナ林。
初夏のイヌブナ
上野大根を半分ほど収穫。
小さくて細長い大根だ。
漬物にするため、洗って軒に吊るした。
残りはまだ畑に植わっているのだが、漬けるか煮食するか、考え中。
いちご苗の植えつけ。
もう少し早く植えるべきだったが、遊ぶのに忙しくて師走になってしまった。
水を切らさなければ、活着してくれると思う。
上は、先日見た、大室山のイヌブナ。
下は、7月8日に撮った同じイヌブナ。
同じ個体だが、季節を変えると、こんなにも印象が異なってくる。
これも昨日と同じモミを別角度から見た写真。
まるで千手観音のようだ。
この化け物のような木はなんだろうと近づいてみると、どうもモミのようなのである。
道のない尾根に妖怪モミや巨大なアカマツなどがゆらゆらしていた。
ここは信州・和田村の大出山。
若い人たちと大持山・小持山を歩いてきた。
一般コースは人が多かったが、南西尾根のブナ林は静かだった。
終日、農作業。
鞍掛豆・タマネギ苗・黒ゴマなどを片づけ。
鞍掛豆は、超不作で、ひと粒もとれなかった。
いちご予定地の畝立てとマルチ張り。
写真は、富士山衛生峰近く、生態系保護のため林内立入禁止という看板の先で見た光景。
林業なんだから、伐るのはけっこうなのだ。しかしこの伐り方には違和感がある。
伐倒と枝払いと玉切りを同時にこなす機械を見せてもらったことがあるけれど、急斜面の多い日本列島の山林では、このように緩斜面の広大な現場でないと、おそらく使えない。
ねらった方向にズバリ倒して掛かり木にしない職人の技が、この国のホンモノの山仕事だと信じている。
昨日の朝は氷点下3度と、かなり冷えたが、雨降りだった今日は氷点下にならなかった。
思い立って、上野へ運慶展を見に行ってきた。
残りの人生でこれだけの作品を見ることはないだろうと思ったからだ。
自宅で入場待ち時間をチェックすると80分と出ていたが、現場に着いてみれば40分の待ち時間だった。
もっとも、待ち時間など、どうでもよかった。
木という素材から、膨大な大河小説に匹敵する物語を削り出す仏師の感性に、触れることができたような気がした。
仏像は想像によって成り立っているのだから、リアルであるわけがない。
四天王や鬼の像など、存在自体が時空を越えた観念的な産物なのに、どうしてこれがリアルに見えるのか。
仏も神も悪鬼も、それらすべてが人の心の中に棲むリアルだからだろう。
写真は、富士山樹海で見たコメツガ。
溶岩塊を登攀しているようにみえる。
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