川内村と滝根町の境界稜線に「精九郎壇」という史跡がある。
江戸時代の水論か山論の際に、精九郎が生き埋めの刑に処せられた場所だという。
どんな山論もしくは水論が発生し、その際、精九郎がどんな役割を果たしたのか等については不明。
精九郎が生き埋めにされた場所に、なんでこんな立派なブナが生えているのかも、不明。
樹木
9日以来、風邪を発症して、10日は体調最悪だったが、いくらか持ち直してきた。
風邪は ?と感じたときに手当てしないと、本格的に発症してしまうようだ。
風邪ひきは約2年ぶり。
写真は、滝根町羽山の沼ノ平。
久しぶりに阿武隈の低山を歩いてきた。
木曜日に川内村の鬼太郎山。
今日は滝根町の羽山。
川内村へは常磐道常磐富岡インターからアプローチしたが、富岡町には、人の気配が殆どなかった。
人の気配がないとは、人の姿を全く見ないと同時に、人家周辺にマイカーが全く停まっていないということだ。
除染作業のトラックや、何かの建設作業用のトラックはたくさん行き交っていた。
帰宅してから調べたら、富岡町は、町域の殆どが帰還困難区域・居住制限区域で、一部が避難指示解除準備区域になっており、現状では誰も住んでいないことになっているようだ。
田んぼも畑も荒れ放題で、虚しいことだ。
川内村は2年前に避難指示解除準備区域の指定が解除されており、田んぼは稲刈りが終わった状態で、人々の暮らしは通常に戻っているようだった。
写真は、川内村点景。
大イチョウ
先日、空振りに終わった運転免許の書き換え。
前回の書き換えのとき、講習受講者は1人だけだったが、今日は3人もいて、盛況だった。
とはいえ、座席は3人分しかないのだが。
鞍掛豆の収穫終わり。
夜なべに豆仕事。
写真は、高山不動の不動堂と大イチョウ。
不動堂は江戸時代の建立で、たいへん立派な建物である。
昨日は早起きをして、 都幾川村の日向根から高山不動、西吾野と歩いてきた。
妖木・姥樫に再会し、高山不動の大イチョウなども見ることができた。
紅葉は、意外に今ひとつだった。
帰宅後、まだ明るかったので、軽トラのタイヤ交換。
これで、自動車の冬の準備ができた。
夜なべに、赤大豆の処理。
天気が今ひとつだった日曜日に、上野の博物館へ特別展「平安の秘仏」を観に行った。
櫟野寺の所在する甲賀一帯は、壬申の乱を始めとして、古代史のエポックとなった地域だから、立派なお寺があるのは不思議でない。
展示されていた諸仏は、本尊ほか二三の仏像以外は傷みのあるものが多かったが、素朴な表情が特徴的だった。
初冬の一日を費やしたが、いいものを見ることができてよかった。
博物館の公園には、いろいろな樹木が植えられていて、これも面白い。
こんな大きなユリノキがあるとは、驚いた。
ブナの根がすごい
10月17日以来、出張を含め勤務がずっと続いていたのだが、やっと仕事のない日になった。
でもって終日、農作業。
小麦の芽が出ないので、まき直し。
たぶん、間違えて古い種をまいてしまったのだろう。
里芋掘りの続き。
昨年、あまりの豊作に驚いたのだが、今年も昨年並みの収穫なのに、驚きはさほどでもない。
何がよかったのか、今ひとつ不明。
落花生あとをフォーマットして、イチゴ苗を植えた。
農薬のかかっていないイチゴをたくさん食べたいのだが、収穫量が今ひとつだ。
苗はいくらでもあるので、来年からは作付けを増やしてみようかと思案。
ピーマンはまだ頑張っているが、宮ネギを食べ始めた。
ピーマンもあと二週間もつかもたないかだが、霜げない限り、大きな実をつけ続けてくれる。
じつに尊敬に値する。
写真は、大持山前後のブナ。
下のブナの根がものすごい。
雲取山への業務登山から帰宅。
登山行動は昨日だけだったので、天候に恵まれ、下界より少し早い紅葉をちょっと眺めることができた。
せっかくの紅葉をちょっと眺めるしかできなかったのは、時間に追われて、気苦労が絶えなかったからだ。
このオオモミジの紅葉を撮るため一瞬立ち止まるのに、周りの人(特に後続の登山者)に心で平身低頭しなければならなかった。
山が混んでいたわけではない。
雲取山荘など、見たことがないほど、閑散としていた。
登山する前にエライさんの高説を延々聞かされたり、君が代を歌わされたり(もちろん自分は立たず歌わず)、進めとか止まれと言われながら行軍のように登山道を歩くのは、魂の自由を求めて山や渓を彷徨する山歩きの対極である。
今朝、埼玉県高体連登山専門部長という肩書のエライさんが「今回の登山はパイオニアワークである」とのたまったときには、体育座りしていた自分は思わず、でんぐり返りしそうになった。
本多勝一氏がこれを聞いたら、20回くらいでんぐり返りするだろう。
出勤前にインゲン種実摘み。
農作業が遅々としてはかどらない。
名だたる林業地である名栗村で、上のような風景を見た。
よく成長し、収穫適期と思えるスギを伐倒して寝かせ、そこにヒノキ苗を植えて鹿よけネットを掛けてある。
ヒノキ苗を植えること自体、格別怪しむに足らないが、林道のすぐわきでよく手入れされて育った立派な丸太が転がしてあったりするのは、ひどくないか。
ここまで育てるのに20-30年程度の時間と手間が、かかっているだろう。
伐倒するのに手間賃が払われる。
苗の植樹にも、費用がかかる。
これらのコストも、GDPに計上されるんだろうが、この一連の作業で、いかなる価値が創出されただろうか。
20-30年程度の時間と手間を、無にしたに過ぎないように思うのだが。
ここに転がっている木は、売られ、使われることによって価値を生ずる。
伐った木を転がしてそこに苗を植える行為は、価値を損なう以上の意味を持たない。
これではまるで、渋谷駅前の「再開発」なんぞと同じ泥んこ遊びではないのだろうか。
ヤマザクラ大木
天目指峠の大コナラ
早起きをして、大麦と小麦の種まき。
コンニャク掘り。
先日歩いたのは、ほとんどスギ・ヒノキの植林地だったが、点々と伐り残された立派な広葉樹を見ることもできた。
それだけに大事な樹木たちだ。
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