秩父事件

改良ゴボウ地

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 朝早くにパンを焼いたあと、午前中は畑で灌水とゴボウ地作りの続き。
 春ほうれん草も、少しずつ発芽し始めた。

 午後は秩父事件研究顕彰協議会の集まり。
 夕方再び灌水。

 紅菜苔の片づけ。
 今回の紅菜苔は昨年秋から半年近く食べ続けることができた。

 成功の秘訣は、若苗の時の増肥である。
 元肥だけでなく、育ち始めた後、鶏糞を水に溶いて灌水を兼ねて与えたのが功を奏したものと思われる。
 冬を越せばよいと考えるのではなく、本格的に寒くなる前に、株をできるだけ大きくしておくことが重要のようだ。
 これは、宮内菜についても言える。

 庭では朝からシジュウカラがさえずり、陽が落ちると近くの山でフクロウが鳴く。
 おそらく数千匹にのぼると思われるテントウムシが、家中のすき間というすき間から這い出して窓ガラスに張りつく。
 近所では、桜だけでなく桃やプラムも咲き始め、里山もうっすらと色づいて、春本番がやってきた。


OLYMPUS E-510+ZD14-54mm

 朝から午後まで、秩父事件研究顕彰協議会の総会と井上伝蔵のご子孫佐藤知行さんへのインタビュー。
 佐藤さんは昭和2年生まれ(実際は大正15年生まれ)でご高齢だが、かくしゃくとしておられ、伝蔵と井上家について、ご存じのことを縦横に語って下さった。

 終了後、畑に行って農作業。
 大量の水汲みと灌水。
 玉レタスの間引き。
 ルバーブの植え替えと追肥。
 防草シート敷き。

 写真は、一昨日と同じく、雲取山の黎明。
 一昨日の写真と今日の写真との間のタイムラグは、ちょうど8分である。

カルガモ

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OLYMPUS E-510+ZD70-300mm

 午前中は、浦山ダムと姿の池でのカモ見。

 浦山ダムは例年より水が澄んでいたためか、カモの個体数はすこぶる多かった。
 ここは広いので、写真に撮るのはかなり困難。

 姿の池は一部凍結していたが、こちらの方が、撮影はしやすい。
 写真は姿の池のカルガモ。

 午後は、秩父事件の研究会。
 いつものことながら、勉強しなければという思いになる。

 日没直前に畑に行ってみると、葉大根やホウレンソウの芽が出ていた。

千手観音堂

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千手観音堂

OLYMPUS E-510+ZD14-54mm

柴岡熊吉の奉納絵

OLYMPUS E-510+ZD14-54mm

 連日、農作業を頑張ったので、今日はひと休み。
 買い物ついでに、荒川村の若御子山から大反山界隈を散歩してきた。

 若御子神社から登り始めて、若御子峠経由で若御子山。
 以前の山行記を見ると、ここには来たことがあるはずなのだが、なぜか若御子山の記憶は、ない。

 せっかくなので、先週エスケープした大反山のピークにも寄り道した。
 ここまで来ると、北側斜面に雪が積もっていた。

 山から下りた後、千手観音堂と札所29番長泉院にお参り。
 長泉院は、札所の中では規模の大きい寺院で、庭も立派だ。

 千手観音堂は小さなお堂だが、建築物としては、すばらしい出来だと、素人目にもわかる。
 現在の堂宇は明治8年に建立されたとある。

 ここには、地元秩父の草相撲力士による相撲絵が奉納されている。
 写真の絵を奉納した近戸川熊吉とは、秩父事件の際、会計副長を務めた柴岡熊吉のことだ。
 草相撲の世界で大関を張ったと伝えられる熊吉も、凄惨な拷問を加えられて、下獄後まもなく獄死した。

穂高インゲン

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 朝から農作業。
 短形自然薯・里芋・キクイモ・つくね芋・生姜などの試し掘り。
 キクイモと生姜以外は全てまだ、早そうな感じ。

 午後は秩父事件研究顕彰協議会の集まり。
 夕方再び畑に行って、インゲン豆の収穫・ネギの土寄せ・フェンネルシードの収穫など。

 写真は今年の秋インゲン。
 「穂高」という品種だが、大粒でうす茶色の渦巻き模様がある。


OLYMPUS E-510+14-54mm F9.0 1/50 ISO100 +OLYMPUS Studio2

 まずまず好天だったので、多忙な一日。

 まず、ナス・ピーマン・ミニトマトの植え替え。
 買った苗は小さなポットに入っているので、5月上旬の植えつけまでに根を張らせる。
 そのため、一回り大きなプラスチック鉢に植え替えて、しばらく室内で育てる。

 カボチャ(つるなしやっこ)の種をジフィーポットに播種。

 畑に行って、種生姜と里芋の植えつけ。
 里芋は、セレベスと八ツ頭と種類不明の芋2種類を植えつけた。

 午後は秩父事件研究顕彰協議会の集まり。
 ちょっと忙しい原稿書きの宿題をいただいてきた。

 夕方また畑に行って、里芋植えつけの続きとインゲン・アズキ予定地のうね整形とマルチ張り。
 自然薯予定地のうね整形とマルチ張り。
 自然薯やヤーコンは、早くも芽が伸び始めた。

 帰宅後、集落の寄合。
 祭礼幟の新調とか鎮守の修理に関する相談だった。
 集落に連日出没している小さな猪を捕まえる話も出た。

 写真は、山梨県南部町内船の八幡神社の大楠。
 このあたりは富士川下流部で、静岡県との県境地帯だから、どこか南国の風情があって、こんなクスノキがあっても不自然でない。
 ちなみに、この樹の隣にはこれよりふた回りほども大きなイチョウの巨木がそびえている。

ラディッシュ

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OLYMPUS E-510+ZD14-54mm F10.0 1/25 ISO100

 朝から秩父事件研究顕彰協議会の総会と講演会。

 終了後、日没まで農作業。
 第二次サラダ菜用うね立てなど。

 冬のあいだ食べ続けてきたネギが坊主を伸ばし始めた。
 大量のネギをよく食ってきたものだと感心する。
 一方、今月始めにまいたラディッシュが食べられるようになった。

 春野菜はこれからだが、こんな小さなものでも、新物を食べることができるのは、うれしい。

ムクドリ

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OLYMPUS E-510+ZD70-300mm F5.6 1/200 ISO400

 煙突掃除の必要頻度が、先日来多くなってきた。
 薪がたっぷりあるので、景気よく燃しているせいだろう。
 煙突をバラバラにはずして、パーツごとにワイヤプラシでススを落としてまた組み立てるのは、とても面倒なのだが、夕方からの暖房+夕食の煮炊き+湯たんぽのお湯沸かし+朝の洗面用お湯+春に使う消し炭作り を一気に実現できるのは、ありがたい。
 そんなわけで、昨日帰宅後、煙突掃除。

 今日の午前中は晴れていたので、半日の薪割り。
 それなりにはかどったが、クリの玉がまだ山積みになっている。

 午後、秩父事件研究顕彰協議会の集まり。
 帰るころには、本格的な雪降りとなった。
 今朝の最低気温が氷点下6度と低かったから、この雪はかなり積もりそうだ。

 帰宅途中に、ホームセンターでジャガイモ(アンデスレッド)を3キロ購入。

 写真は、下小鹿野にある桑畑に捨てられた生ゴミに群がるムクドリ。
 ムクドリはどちらかといえば、市街地に多い。
 喧嘩しながら、生ゴミをあさる様子は、みっともよいとはいえないが、それがこの鳥の習性なら仕方ない。

ムラサキシメジ

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OLYMPUS μ720SW F3.5 1/20 ISO64

 本日もまた終日、秩父事件の史跡めぐり。
 今日は、茨城県の人々を案内して、秩父郡市内をめぐった。
 午前午後と天気が回復し、暖かな一日でよかったと思う。

 案内が終わってから畑に行って農作業。
 薄暗くなるまで、自然薯掘りをした。
 6から7つ掘ったところで雷雨のため終了。

 札所23番音楽寺は秩父事件史跡であると同時に、きのこフィールドでもある。
 写真は駐車場に出ていたムラサキシメジ。

三波川を訪ねる

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OLYMPUS μ720SW F3.5 1/10 ISO800

 終日、秩父事件研究顕彰協議会のフィールドワーク(史跡めぐり)。

 今日は主として、群馬県三波川村(現在藤岡町)と埼玉県矢納村(現在神川町)の史跡を小型バスで回った。
 この一帯は、かつて風早峠越え法久から妹ヶ谷不動尊の2回に分けて峠道を歩いたことがあるが、秩父事件参加者の家を訪ねたり、お墓詣りができるなど、とても有意義で勉強になった。

 最初の見学先は、三波川村琴辻集落の飯塚家と平滑集落の木下家、木下武平墓。
 飯塚家は秩父事件当時の戸長役場だったお宅。屋根は葺き替えてあるものの、築何百年という豪邸だった。
 三波川は秩父と同様に、急傾斜な山村で水田など見あたらない。
 ここにこれだけの有力者が住まいしていたということの意味を、じっくり考えたい。

 木下武平は自由党員で、明治17年11月1日から秩父事件に参加。11月9日の東馬流の銃撃戦まで戦い抜き、事件後捕縛。重禁固4年の刑を受けた。
 この人は事件当時57歳と、秩父事件参加者の最長老グループに属している点も、特筆される。

 次は上妹ヶ谷集落の横田周作実家あとと墓地。
 周作は困民党役割表に「小荷駄方」として名前がのっている幹部の一人で、蜂起前から組織活動に従事していた。ちなみに小荷駄方とは、困民党軍の兵站部隊で、戦闘にとってたいへん重要な役割だった。
 彼もまた、東馬流まで戦って捕縛され、軽懲役8年。在獄4年で獄死。

 その他、回ったのは矢納村の城峰神社と高牛集落だった。高牛は10年前に歩いているはずだが、その風景は覚えていない。
 この一帯ではどこでも寒桜が咲いていたが、冷たい雨が降っていたので、寒々しかった。

 写真は、木下武平の墓。

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